三木露風が祖父に宛てた書簡と「龍野図書館」
昨日は、ゴッホが憧れた「日本的なるもの」=日本的感性について投稿した。
あわせて、妻の詩集『ありがとうの音色を響かせて』(MOKU選書)に、三木露風(みきろふう)の親友であり日本画家であった祖父の日本画を随所に掲載していることも紹介した。
そこには、「祖父の感性を継承したい」という願いが込められている。
詩人・三木露風の代表作は多くあるが、中でも、童謡「赤とんぼ」の作詞を手掛けたことで有名だ。
私の実家は兵庫県の龍野城の近くにあり、実は三木露風の家も龍野城の近くで、歩いて5分もかからなかった。
祖父と三木露風は幼年期から極めて親交が深く、毎月和歌の会を行っていたという。
今回は、そんな祖父と三木露風とのエピソードについて紹介したい。
●祖父との思い出
私の祖先は赤穂城の城受け渡しに関わった脇坂藩の筆頭家老で、母校の龍野中学校は城跡に建てられた。
我が家は城の真下にあったため、中学校の開始ベルが鳴り始めると家を出れば遅刻しなかった。
祖父はカイゼル髭を生やし180センチ以上の長身で日本画の画家、小学校の校長、初代龍野図書館長でとても威厳のある厳格な教育者で、私を含む6人兄弟の孫は恐れていたが、私だけが反抗した。
ある日幼い私が我が家の庭でツツジの花びらを無意識にむしっていたら、祖父の怒号が飛んだ。
私はひるむことなく「そんなこと言うんなら、庭のつつじを全部取るぞ」と言い返したところ、「史朗には勝てんな」と言いながら爆笑したという実話を何度も母から聞かされた。
●アメリカ留学時代に受けた質問「なぜ日本人は切腹するのか」
先日、真田広之主演ドラマ『SHOGUN 将軍』がエミー賞史上最多18部門受賞し、世界的に大きな話題となった。
しかし、「将軍ブーム」はこれが初めてではなく、昭和55年(1980)に全米で放映された『将軍 SHOGUN』というテレビドラマも大ヒットを記録した。
その時、私はアメリカの大学院に留学中で、博士論文に向けた発表を授業でしようとすると、指導教授が「今日は昨日テレビで放映された『将軍』について聞きたい」と言われて驚いた。
島田陽子主演でアメリカでは毎週放映され、大変な人気であった。
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