スリの少ない日本という国

 記憶というものは、どんどん整理されて古いものは消えていくのだとおもうから、AからZ項まで何かに刻んでいきたいのだが、それらが常に溢れていて、どれを取り出したらいいのだろうと、混沌の渦に巻き込まれそうになりながら生きている。
 わたしは常に孤独だ。誰かと繋がっているとしても、それはまるで虹を見て「あっ」と思った次の瞬間に消えてしまうようなもので、7色の光景はやがて、ありふれた水色と白の2色に変わってしまう。いや雲がなければただひとつの色しか見えなくなる。
 闇は深くわたしの心に突き刺さる。もう何もやりたくもないし、誰にも会わない、と誓ってみる。会ってみたい人はいるけれど、会いたい人はいない。人間に言葉がなければ、誰ひとり傷つかないし、後悔や重い責任も生まれない。
気楽に生きる方法をとにかく探してみる。
 ところで鶴瓶さんと久里万太郎さんは、どうしてぶつかり合うのか不思議で仕方がない。笑福亭鶴瓶さんと言えば、知り合いと呼べる人がたくさんいる事で有名だし、鶴瓶さん自身も有名でおられる。なのに・・・と思うのだ。
 よく芸能人たちも「実は仲が良さそうに見えて、そうでもない」という話をよく聞く。人は見かけに寄らないのだろうな。人を区別するのに、外見で判断しなければ、
わたしA
わたしB
わたしC
わたしD
という感じで、収拾を付かせるのも大変だ。

 そして良い日本人もいれば、悪い日本人もいる。日本のお店に入ると、誰かの荷物がポツンと迷子になっていて、「あれっ」と一瞬考えると、座る場所を取る為に犠牲になったお荷物さんたちだった。決して「盗んで下さい」と表明しているわけでも、わすれものでもない。しばらくコーヒーでも啜っていると、そのお荷物の親方が呑気そうに戻ってくるのだ。
 たぶん日本人に悪い人はごく稀なのかなぁ、日本でなければ大丈夫な筈はなく、用心しないと、バックごとなくなっているのが世界なのだ。日本では基本的に落ち着いてコーヒーを飲めるのだ。感謝、感謝。

 しかしコロナ対策にしても、日本人の感覚は世界の人々とかけ離れている気がしてならない。わたしが懸念するところは、もっと日本人に出来ることは違う次元にあるという事だ。
 太平洋戦争から100年も経たずに、首都東京だけじゃなく、名古屋、大阪、福岡、仙台、その他の都市は脅威の発展を遂げてきた。
 スポーツやアニメも世界中から注目を浴びる国は、日本。それだけに人間関係というものは、甚だ難しい問題である。お互いを尊重するというのも、スローガンとしては立派ではあるけれど、やはり折り合わない人間もいるのだ。
 まぁ表面上でもいいから日本人はもっと堂々と生きればいいと願う。

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