政治倫理審査会が私達に問いかけている「主体変容」と「共に変わる」こと

 2日間にわたる政治倫理審査会の国会中継と昨日の約3時間に及ぶ立憲民主党の山井和則議員の旧態依然たる抵抗のための抵抗に過ぎない無駄な国会演説を聞いていて、日本の政治的危機の深刻さを痛感した。危機の本質は、倫理観の欠落した「責任転嫁の他人事」という姿勢が与野党に共通している点にある。この点が変わらない限り、国民の支持は得られないであろう。
 山井議員は自民党の赤池誠章議員や清水隼人さいたま市長と同じ松下政経塾第7期生で、私はユネスコ・毎日新聞関係者と3人で入塾審査を担当し、教育指導に当たったので、彼らが当時書いたレポートも保存している。
 山井議員は塾生時代から真摯な青年であったが、最近の言動を見ていると、自民党の表面的な批判が目立ち、野党も含めて「共に変容する」必要があるという自覚が欠落しているように思われる。note拙稿で論じてきたCo-becomingこそがいま問われているのである。これだけ自民党の支持率が急降下しても野党の支持率が上がらないのはそのためであろう。
 まず自らが変わる「主体変容」こそが問われていることを政治家たちは肝に銘じる必要がある。政治倫理審査会で証言した元清和会幹部らは、口を揃えて安倍元総理の指示に反して、キックバックを決めたプロセスへの関与を否定し、会計責任者に責任を転嫁した。
 政治倫理審査会で問われているのは「倫理的責任」であるにもかかわらず、誰からも「倫理的責任」を認める発言はなかった。「不記載」は昔から続いているという。このような責任不在の悪しき「空気」が「失敗の本質」であることを私達は先の大戦から学んだのではなかったのか。
 同じ穴の狢に過ぎない国会議員たちが、日本の危機の本質が自らの内にあることを自覚しない限り、日本の再生は難しい。国防その他の危機を訴えても、無責任な政治家たちの声に若者たちは耳を傾けないであろう。
 なぜ自らの「倫理的責任」を認める政治家が一人も出現しないのか。安倍元総理はこの後継者たちの体たらくぶりをどのような思いで見つめておられるであろうか。多くの国会議員を輩出した松下幸之助はどのような思いでこの体たらくぶりを見つめておられるであろうか。
  作家の曽野綾子はかつて産経新聞の「正論」欄で、「日本人の美徳の崩れが恐ろしい」と経済界の「道義」の崩壊を憂えたが、「道義国家」日本の崩壊は、政治家のみならず、私たち一人ひとりにも及んでいることを自覚する必要がある。
 それ故に、まず自らが「責任転嫁」から脱却して「主体変容」し、「共に変容」することを目指す必要がある。政治家の振り見て我が振りを直し、禍を転じて福と為すことができなければ、日本を再生することはできない。大谷翔平の目標達成シートから私達が最も学ぶべきキーワードは「主体変容」である。
 
 

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