歴史戦は外務省HPの南京記述の削除から

 戦後70年という節目の年を前に、中国は対日歴史戦を本格化し、2014年6月、「南京大虐殺」に関する史料をユネスコ「世界の記憶」に登録申請を行い、翌年10月4日からアラブ首長国連邦の首都アブダビで開催されたユネスコ「世界の記憶」国際諮問委員会で登録が決定された。
 私は同年7月9日、パリのユネスコ日本代表部を訪れ、駐ユネスコ公使と参事官に会い、中国が登録申請した史料に対する反論文書と大原康男・竹本忠雄共著『再審「南京大虐殺」一世界に訴える日本の冤罪』(明成社)と北村稔著“The Politics of Nanjing”(アメリカ大学出版)を手渡し、問題点について説明した。
 北村の英文著書は『「南京事件」の探究』(文春新書)の英語版であるが、「南京事件」を世界に知らしめたイギリスの記者ティンパーリが書いた『戦争とは何か』が、国民党中央宣伝部の戦時プロパガンダの所産であったことを、当事者の証言によって明らかにした。
 日本人戦犯捕虜969人の供述書がユネスコに追加申請されたが、軍国主義者と人民・兵士を区別する」という毛沢東の基本方針に従い、中国共産党の指揮下で日本人捕虜の洗脳教育を担当した責任者は、コミンテルン(国際共産党)の日本代表としてモスクワに滞在し延安に移った野坂参三(元日本共産党議長)であった。
 ユネスコ「世界の記憶」に登録された史料は中国の南京出版社より全20冊発刊され、「前書き」には、虐殺被害者は30数万人と明記されている。同「前書き」によれば、ソ連が1945年8月に中国の東北地方に出兵した時に捕え、1950年7月20日にソ連から中国に引き渡された後、「偵察的尋問と教育的な改造を経て、1956年6月に中華人民共和国最高人民法院の特別軍事法廷の裁判を受けた969人の日本人戦犯」の供述書が追加申請されたのである。
 しかし、「中国共産党が調査した、戦犯日本兵捕虜の供述書」は、関係者の証言などから信憑性に乏しく(『元兵士102人の証言』の証言者の再ヒアリングの調査結果が集大成された東中野修道『南京「事件」研究の最前線』展転社、参照)、30数万人の虐殺があったという学術的根拠を立証する史料もなかった。
 同「資料解説」によれば、資料は114点で、①戦時中に作成され日本の研究者から反論が出ていないものが11点、②反論が出ているものが19点、➂戦後作成された資料が67点、④作成年不明が18点で、30数万人の「大虐殺」を証明できる資料は皆無であった。
 戦後作成された資料の大半は、中国国内で行われた聞き取り調査であるが、被害申告者名や目撃者名が書かれていない極めて粗雑な報告書である。まず、第1章の「前書き」、ラーベ日記の原文にはない文書が偽造されて、証拠資料として提示されている。映像資料は米人牧師ジョン・マギーが撮影したマギー・フィルムだけで、南京の戦犯法廷で傍聴人の前で上映された、戦線記録映画『南京』は収録されていない。
 マギーフィルムに「日本軍に暴行された中国人が映っている」と中国側は主張しているが、暴行場面はなく、マギー自身も東京裁判で、実際の目撃「殺人1件」と証言しており、東京裁判でも証拠として提出されなかった。また、南京占領直後に日本軍の許可で行われた戦争の人的・物的被害の調査報告書であるスマイス報告書の本体も全20冊に収録されていない。
 南京市国際安全区で働いていた中国人女性の程瑞芳日記の記述は、当時行動を共にしていたミニ・ヴォ―トリンの日記と比較すると真逆の内容で信憑性がない。「殺人・強姦等の暴行を実施した」と明記した金陵大学の文書は、単なる「被害一覧表」に過ぎず、日本軍による殺人・強姦を立証するものではない。
 私はユネスコに意見書を提出したが、登録を阻止できなかった。最大の失敗因は、外務省が積極的な働きかけはかえって反発を招くことを懸念して、事実に踏み込んだ反論する姿勢に欠け、事前審議で「仮登録」という評価を下した登録小委員会への働きかけが中国に比べて欠落していたことである(拙稿「歴史戦争の敗北はなぜ繰り返されたのか」『正論』平成27年12月号、参照)。
 前述したパリのユネスコ代表部で英文反論文書と著書を手渡した際、「外務省のQ&Aをご覧ください。日本政府は南京虐殺自体は認めているのですから、個別の反論をしてもいかがなものか」と疑問を呈されたので驚いた。これでは日本の名誉は守れない。外務省のQ&Aに南京事件はジェノサイド、大虐殺ではないことを明記しないといけない。外野から野次っている場合ではなく、内野に降りて一緒に守備につかなければ日本の名誉は守れない。
 このことを安倍総理にも自民党外交部会でも訴え、「官民一体の歴史戦チーム」の必要性を訴え続けてきた。まず外務省Q&Aで「大虐殺」を明確に否定することから始める必要がある。
 昨年4月3日、参議院において和田政宗議員が林外務大臣から画期的な答弁を引き出した。外務省のホームページは、平成17年8月から南京市民の殺害を否定できないと記述している。ところが、その記述の根拠について林外相は「外務省が作成したものは確認できておりません」と答弁し、例示した資料には、証拠となる記述がないことが判明した。
 それから1年を迎える4月2日、「外務省ホームページの変更を要望する会」は、「外務省アジア大洋州中国・モンゴル第一課」へホームページの変更を求める要望書を提出。その後の緊急集会で、和田政宗議員と西村幸祐氏が経過を報告した。


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