日本の教育の再生は、戦後の教育思想の見直しから一特殊日本的問題の淵源は何か

●デューイ『民主主義と教育』における賞罰論

外的な指導や統制に批判的であったデューイでさえ、賞罰については否定していない。彼は「より意識的に統制を行う場合」の限定的なものとして、「あまりに本能的ないし衝動的なので、それを行っている当人がその結果を予知する術を全く知らないような行為」に関して「非常に明白」な事柄として、次のように述べている。

<ある場合によっては、彼が経験することを許し、次回は同様の状況で理性的に行動するよう自分でその結果について発見させるのもよい。しかし、ある行動の過程はあまりに人を困らせ不快にさせるのでは、これを続けるのを許すわけにはいかない。そこで直接的な非難が直ちになされる。恥をかかせたり、嘲笑したり、冷遇したり、叱責したり、処罰したりがなされるのである。または迷惑な行動の方向性を転換するために、逆の子供の性向に訴えることもする。褒められることに敏感で、賛同される行動によって人の好意を得たいとかの期待をうまく方向づけることによって、別の良い方向への行動に導くのである。>デューイ『民主主義と教育』

 懲戒について、デューイは規律の瓦解・崩壊という「危機的な状況」において必然的に要請される学校教育に欠くべからざる「非常に明白な」ものとして捉えているのであって、「規律指導の一環としての懲戒とは、特に『危機的な状況』において、その対象者のみのみに反教育的に焦点化されたものではなく、被害者は勿論その周囲を含んだ集団における許容されざる行動の基準を示し、規律を守るため個人的あるいは組織的・協同的になされるもの」なのである。

●「葬式ごっこ」によるいじめ自殺事件の背景と問題点

 『混迷の学校教育:日本的規律瓦解と規律指導の再構築』(牧歌舎)の著者である福岡大学の大久保正廣教授によれば、高校では退学や停学があり、学校における懲戒に関して明確な規定があるが、公立小中学校では「訓告」しかないことが決定的な問題点であるという。
 つまり、「規律の規定」が定められていないために、各学校における管理職の規律指導上の役割が曖昧であり、管理職とそうでない職員との関係性や個々の管理職の考え方次第で、小中学校はより無責任な体制を生んでしまったということである。
 これまで長い間組織的・継続的な指導体制や関係機関との連携が欠如しがちであった小中学校の背景にはこのことが大きかったといえる。
 教師もいじめに加わった事件として有名な「葬式ごっこ」事件が1986年、中野区立富士見中学校で起きた。鹿川裕史君がいじめによる自殺をし、級友らとともに担任ら4人の教師が「葬式ごっこ」の追悼色紙の言葉を添えていた事件である。
 当時は「管理主義」伝説も今以上に強い影響力を持っていた時代でもあり、体罰だけでなくこうした教師による「葬式ごっこ」でも、一人の生徒が死に追いやられたという批判が学校に集中した。
 なぜ、教師たちはこうした残酷な遊びをやめさせることもできず、ましてや加担することになってしまったのか。大久保教授によれば、その後明らかになったことは、実は教師たちも対教師暴力の被害者であったということなのである。
 この事実はあまり表面化しなかったが、その8年後に起きたいじめ事件として注目を集めた大河内清輝君の事件においても同様の規律崩壊の状況があったことが判明している。
 こうした中で教師が鹿川君に指導した最後の場面で伝えたのは、単に以下のことだけであった。大久保教授の前掲書によれば、「転校と警察への訴えへの勧め。教師たちや学校にできたのは、わずかにこれだけであった。しかし、当時の学校やそれをとりまく状況から見て、このことは学校や教師だけの問題では決してすませられないものがある。いじめという人権侵害への学校の無力さと警察など関係機関との連携の視点の欠如。そしてそれを黙認している時代的、社会的、そして制度的問題。この事件の持つ深刻な意味合いは、今ここで改めて再確認されるべきものがある。今日のアメリカやフランスの校内暴力の対策においては無論のこと、近代化された諸国においては校長を中心とする責任体制の組織や関係機関との連携は基本的なマニュアルとなっている。遅きに失した感があるが、こうした学校教育を生み出した日本的な経緯とその見直しこそが、今問われているのである」。

●戦後の教育思想・教育法学を根本的に見直せ

 法廷を巻き込んだ「教育権」論争が長く続いた戦後教育界においては、「国家の教育権」を否定し、「国民の教育権」を主張する教育法学では、出席停止を含む生徒指導は「内的事項」に該当するはずであるが、生徒指導に不可欠な管理職や教育行政とのチームとしての連携は前提とされてこなかった。
 教育実践上世界に例のない「出席停止の空文化」という、戦後の義務教育における特殊日本的問題は、こうした不幸な歴史的的流れの中で生まれ、今日に至るまで難題となっているのである。
 戦争への反省が「国家の教育権」や規律や懲戒そのものを否定する管理主義言説を生み、今日の教育荒廃に拍車をかけているのである。こうした戦後の教育思想・教育法学の根本的見直しなくして、日本教育を再生することはできない。


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