「慰安婦問題」最終結論の要約⑶

3 女性が慰安婦として渡航するためには、居住地の警察署から身分証明書を発給してもらわねばならず、その時女性の父母ら親権者などが慰安婦就業許可申請書、父母ら親権者の承諾書、戸籍謄本、印鑑証明などの多くの書類を揃えなければならなかった。
 それは女性の父母ら親権者が業者と契約を結んだことを意味する。韓国人の元慰安婦の過半数が誘引や暴力的連行により慰安婦になったと証言しており、強制動員論者たちは詐欺(誘引を含む)、人身売買、暴力的連行を慰安婦動員の主要な方式だとしている。
 しかし、誘引や暴力的連行の場合、上記の書類を揃えることができないので、慰安婦動員の主要な方式になるはずがない。元慰安婦たちは必ずしもいつも事実を語っているわけではない。元慰安婦の証言は口述資料として精密な事実検討作業を経なければならないが、強制動員論者たちはそうはしなかった。

4 女性の父母ら親権者は前借金を貰って業者に娘を引き渡した。その代わり女性は、慰安所で日本軍兵士に性的慰安を提供することによってその債務を返済した。これは巨額の前金を貰い一定期間、特定の労働を提供する年季労働契約に該当する。
 慰安婦の仕事をして前借金を返せば女性は慰安所を離れる資格を得るので、この前借金は人身売買の代金ではなく先払い報酬である。父母が前借金を貰って娘を引き渡すことは欲「娘を売った」と表現されたが、これは人身売買ではなかった。人身売買もやはり慰安婦動員の主要な方式だったとは言えない。

5 世情に疎い父母が騙されて少額の前借金で、あるいは前借金もなしに娘を業者に引き渡したケースもあっただろうが、たいがいの父母らは相当な前借金を貰っており、娘が慰安婦の仕事をするのだろうと分かってもいた。既に国内では、貧困な父母ら親権者が前借金を貰って娘を引き渡し酌婦や娼妓にするのはよくある事だった。
 女性が本人の意思に反して慰安婦となったことを慰安婦被告ということはできるが、その点では国内の酌婦や娼妓の場合も同じである。父母ら親権者が本人の意思に反して女性を慰安婦や酌婦、娼妓にしたことは、今日であれば処罰される犯罪であるが、当時は合法的な行為だった。

6 日本軍慰安所は、おおよそ軍人150人当たり慰安婦1人という基準に従い設置された。戦線が拡大し戦場の日本軍兵士の数が増えると、それだけ慰安所も増えた。慰安婦の数は1937~1941年の日中戦争期には5千人台だったが、1942~1945年の太平洋戦争期には1万3千~1万5千人になった。
 慰安婦の交替を考慮した日本軍慰安婦経験者の総数は、日中戦争期の1万千人に太平洋戦争期の2万4千人を合わせた3万5千人程度だった。そのうち朝鮮人は7千人程度を占めた。

7 慰安所では慰安婦の売り上げを業者と慰安婦で分け、慰安婦は自分の取り分の中から前借金を返した。前借金を返済した。後の業者と慰安婦間の分配率は、最初は5対5が多かったが、後には4対6と慰安婦に有利なものに変わった。多くの韓国の元慰安は報酬を貰えなかったと証言しているが、それは、慰安婦動員に対する日本の責任を追及すため、証言を採録する過程で強制連行・性奴隷説に符合するように証言が歪曲されたからであり、そのほか付随的には、慰安婦たちが前借金を返済するため売り上げの10%余りしか報酬としてもらえず、その報酬も業者から生活用品を買うのに使ったからである。

8 慰安所で慰安婦は、時には1日に数十人の日本軍兵士を相手にしなければならなかったが、労働強度が高かった分、短期間で前借金を返済することができ、その後は貯蓄することもできた。日本軍兵站部は業者を、慰安婦をほしいままに搾取することができないよう取り締まった。先払い報酬を貰った慰安婦が売り上げを定率で分配され、債務を返済した後や定められた契約期間が終了した後は帰還できた点などを考慮すれば、慰安婦は「性奴隷」ではなかった。
 日本軍慰安婦制は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内線における強姦のような戦時性暴力や戦争犯罪とはまるで違う。それらをひとくくりにして戦時性奴隷制と規定した国連のクマラスワミ報告書などは誤ったものである。

9 日本軍慰安所をよく戦場に延長された「公娼」だというが、それは単純な延長・再現ではなかった。公娼制では、国家は公娼の運営主体ではなく、売春を奨励もせず、抱え主と娼妓の関係にも深くは介入しなかった。
 それとは違って慰安所制では、日本軍が事実上の運営主体として軍人に対する慰安サービスを最大化させようとし、そのために慰安所を厳格かつ緻密に管理し、業者と慰安婦の関係にも深く介入した。これは国内の公娼とは違って慰安婦を業者のほしいままの搾取から守る効果を生んだ。

10 日本の降伏以前に帰還していた慰安婦には大きな問題はなかったが、日本軍の降伏時まで帰還できなかった慰安婦には大きな問題が生じた。慰安婦は、日本軍が敗走する戦場で命を落としたり負傷したりする死の苦しみを味わい、それまでの貯金も台無しになった。
 そもそも日本軍が敗走する局面において慰安婦に向けた何の対策もなかったことが、日本軍慰安所制の最も大きな問題である。日本軍は最後の決戦場で玉砕する前に慰安婦を虐殺したという主張があるが、その証拠として提示されたものは事実ではない。「慰安婦虐殺説」は作り話である。


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