大沢真理『男女共同参画社会をつくる』への四つの疑問

 男女共同参画を推進している人々のバイブルになっている大沢真理著『男女共同参画社会をつくる』(NHKブックス)の疑問点について問題提起したい。
 まず第一の疑問点は、「少子化高齢化を乗り切るためにも、男女共同参画は有効である」という論点についてである。大沢は「少子化の主な原因は、性別分業が固定的なために結婚の”敷居”が高く、若い人々が結婚を先送りしていることにある」と述べて、「若い人が結婚を先送りする原因」として、「母親に子育て負担が集中」している点を強調しているが、「母親に子育て負担が集中」しているのは今に限ったことではなく、戦後一貫してそうであったが、出生率は高く、「結婚を先送り」してはこなかった。
 「ジェンダーフリー」を提唱して、「少子化対策」とするなどというのは、埼玉大学の長谷川三千子名誉教授の指摘する通り、「糖尿病の治療に高カロリー食をすすめるようなもの」である。
 第二の疑問は、従来の「『男性稼ぎ主』型を解消し、『男女共同参画』型の夫婦が一般的になれば、家庭と家計のリスクを分散させる、よって、社会政策を『両立支援』型に再構成すべきである」という論点についてである。
 一見なるほどと思わせるが、これは「木を見て森を見ない」議論の典型と言える。このように「両立支援」型の社会システムを実現するためには、社会全体として、現在の倍近い就職口が必要になるが、今のままで倍増したら一体どうなるか。
 それは単に失業率を上げ、夫婦ともに高学歴で高収入を得るグループと、夫婦ともに失業するグループとの二極分割を招来するだけである。つまり、家庭単位での不平等の格差がますます拡大し、「両立支援」型の社会政策システムは、不況下においては、ますます失業家庭を増やすことにしかならない。それ故に、従来通り失業率を下げ、無収入家庭への援助を目指すの正道と言える。
 第三の疑問点は、「男女共同参画基本法では、基本理念の一つとして、『社会における制度または慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない』と規定された(第四条)これは一方的に女性に就業を促そうという趣旨ではない。男女を問わず、社会のどのような分野で活動するのか、就業するのか、家庭にとどまるかは、個人が選択すべき事柄である。
 その選択に際して、社会の制度や慣行が特定の方向に人々を誘導することに内容、制度や慣行を中立なものとすることが、第四条の趣旨である」と述べている点についてである。
 大沢の言う「性別による偏りのない社会システムの構築」が本当になされたら、その「社会システム」はやはり「システム」として成員を縛るのではないか。
 例えば、実際に配偶者特別控除を廃止された専業主婦は、「ハイ、どうぞご自由に選択してください。でもネ、あなたすごーく不利になりますよ。それでもいいならどうぞご自由に」と言われているようなものである。
  そもそも「型を壊す」ということが、その社会に住む人間にとっては、住んでいる家の屋根を壊されるような、いや床をぶち抜かれるような話なのであり、「社会システム」をいじるということの恐ろしさを知らない人たちに社会システムをいじらせてはいけない。
 第四の疑問は、「『幾何の平等』は不確実であり、、『結果の平等』のほうが明確である。しかも、日本の様々な『平等論』は、男性と女性といった”グループ間の平等”に注視してこなかった点では不十分である」と指摘している点についてである。
 「結果の平等」が大切という議論は経済政策の議論としては重要であるが、「男性グループと女性グループ」という分け方をするのはいかがなものか。何故なら、一つの家庭の中では男女の究極の「結果の平等」が実現しているのであり、それをわざわざ壊そうとして、日本の社会政策は「家族頼み」だからダメだとか、「スカンジナビア・ルート」(「個人が独立するための諸能力を最大化する」ことを目指す社会民主主義体制)を取ろうなどと主張するのは、全く見当はずれと言うしかない。
 女性の参画レベルを飛躍的に高める必要はあるが、「男女共同参画社会へのアプローチはいかにあるべきか」について根本的に見直す必要がある。
 
 


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