楊尚眞の『グロ-バル性革命』書評

著書:The Global Sexual Revolution -Distruction of Freedom in the Name of Freedom-
(グローバル性革命 -自由の名によって自由を破壊する-)
著者:Gabriele Kuby (ガブリエル・クビ―)


現代社会は自由の限界を知らずに暴走している。かつてタブー視されたことを当然の権利だと主張し、それが真の自由であり、寛容であり、洗練されていると思われている。 男女の愛を越えて同性愛は正常であり、同性カップルの結婚まで合法化すべきという主張まで出ている。 これだけではない。 様々なメディアを通じて性的なイメージとポルノが無分別に配布され、子どもたちが正しい性倫理・道徳を確立する前に低俗な性文化にさらされてしまい、幼年期における純粋で健やかな精神が保護されていない。 果たしてこの変化が望ましい現象であるのか? このような変化がより良い世界へ向かっているのだろうか?
ドイツの社会学者であるガブリエル・クビーは、今日、私たちが直面している巨大な性文化のイデオロギーが偶然でも流行でもなく、性に対する認識を根本的に変え、人類と社会に根本的な変化を起こそうとする性革命への世界的な戦略であることを示している。 性革命による社会の変化を肌で感じた彼女は著書の膨大な資料と具体的な事例に基づいて文化革命を主導するジェンダーイデオロギーの起源とそれに起因する多くの悪影響について詳しく説明している。
また、国際的に共有されている言語的・知的・学術的手段と言論、法律、政策的ツールを使って性革命を主導する目に見えない手があることを知らせる。 この著書は現代社会で起きている変化を見る新しい視点を持つことになる。 また、このような変化がどれほど人類にとって危険なことであり、だれでも、性革命を寛大に捉えてしまうという致命的な悲劇を引き起こす可能性があることに気付くことだろう。
本書の内容は、すべての文化と宗教の価値体系を破壊する性革命の現実、フランス革命から続いてきたポストモダン的ジェンダーイデオロギーの流れ、性主流化に向けた国際機構とパワーエリートの全体主義的歩み、制御することができないポルノの病的拡散である。
とりわけ戦後、日本社会における性文化の急激な変化を目撃して驚くことが多い。 西欧で数百年間、紆余曲折を経て進行された性革命がそのまま圧縮されて浸透しつつあるようだ。 私たちの社会で起こっている性革命的事態が西欧でどのように起こり、性倫理、家庭、結婚にどのような破壊的影響を及ぼしているかを具体的に語るこの本を通じて、日本社会の変化を読み取る能力が備えられる。 日本は、西洋の暗い状況から学び、日本の未来を設計することができなければならない。そして、明るい日本の未来をつくるためには、各領域においてこの背革命に対抗する行動がなければならない。 人間の尊厳性を守り、生命と結婚と家族、さらに社会の生存のための闘争が必要であることを明らかに示している。
長い間緻密に計画され組織的に進められてきたグローバル性革命は、この世界が悪化することが自然になるのではなく、邪悪な者の執拗な努力による結果であることを示している。 したがって、これに対抗するためには、危機感と切迫感をもって対抗運動に献身しなければならないだろう。 健全な性倫理を持って、偏屈なジェンダリズムの暴風を防ぎたい現代の知性人にこの本を読んでみることを強く勧める。 また、この本が性的堕落の暗雲を正しく把握することを助ける案内書になることを切に願う次第である。

   著者が著書の中で批判をしている主な3つを紹介するならば、
第一の批判は、「包括的性教育」に対する批判である。その理由としては、
第一、本当に親になるか否かを自ら決定することが、全世界の若者たちが希望する最大の願いでないということであり、それは殆どの若者たちは、安定した家族を望んでいるからである。
第二、すべての年齢層の若者たちが本当に性と生殖に関する権利、特に自慰行為を通して情欲の器官として、自分の身体を知って行くように、大人たちから指導を受ける権利、男性と女性という固定観念なしに、彼らが望むいかなる方法をもってこれらの性欲を満たす権利を主張するが、それは、親の権利と宗教の自由を損なうことになる。 宗教は、若い世代に伝えなければならない性道徳の価値を教えるからである。
第三、包括的性教育と「安全な性的関係」というメッセージがHIVやその他の性的関係を通して感染する病気から人々を保護しない。むしろ、性教育による子どもの性愛化は梅毒と淋病の発生率を再び高め、多くの若い女性を永久的に不妊にする性感染症の爆発的な拡散を生んだからである。
第四、包括的性教育を受けた子どもたちは、性的羞恥心が破壊されていない他の子どもよりも性的暴行から自分をもっと保護することができない。子どもたちは親交と性的な接近の違いを区別することはできない。 特に情緒的に困難を抱えている子どもたちはなおさらのことである。
最後に、全世界の若者たちが自分のまだ生まれていない子どもを殺害できる「権利」を持つ必要はない。彼らは生命とすべての個人の尊厳性を尊重するように育てられなければならないからである。
著者は幼い子どもの性愛化の問題について「政府が強要する普遍的性教育方式は「快楽主義」を前提に作られたものだと指摘したが、いくらお互いの合意の下に性行為は行うことをルールにしても、子どもの性欲が極大化された状態で性的な調節が可能ではないと述べる。
第二の批判は、性規範の崩壊をもたらすジェンダーイデオロギーに対する批判である。哲学者ジュディス・バトラーは、性別は男女という身体的な性よりも、自分が考える性に決定されると言った。 トランスジェンダーの活動家リキー・ウィルソンは「男女両性」の概念を終わらせることが私たちの目的であると言った。このように性的指向、性同一性などは、私たちの社会の基盤となった価値を転覆させようとする意図であり、事実が否定され、空想が支配する時代になった。 これは人間に対する根本的な概念が変わったからである。
著者は、まず「性主流化」(gender mainstreaming)という理念からジェンダーイデオロギーの背景を語る。 この「性主流化」というものは、生物学的な男性と女性の両方を区別するこの二分法的な構造を排除し、「性別の柔軟性」を主張し、自分で性別を選ぶことができるとする。 それで、その概念として、二つの性が異なるということは、社会と言語が作った概念であるので人間がそれを作ったり取り除いたりすることもできるので子どもたちにもこのような性の固定観念をなくすように助けなければならないと主張しているである。
しかし著者は、生物学的男女の存在を無視すれば、その対価は膨大で深刻なものになる。 人間のアイデンティティを破壊し、性的乱れをもたらし、家庭と結婚を破壊させる。 そのようなものが崩れると、人類は歴史から幕を閉じるようになる。 だからジェンダーイデオロギーの思想を信じることはできない。 それは、私たちが持っている経験を無視することであり、私たちの理性を無視することである。 これは、ヨーロッパ―の人間の成長背景となった科学まで無視し主張してことである。 しかし、驚くべきことは、この理念が多くの大学で扱われているという事実である。 ドイツでは、殆ど女性で構成されている何百人もの女性学者たちが「ジェンダーイデオロギー」を導入しているが、この理論は、過去の社会主義と今の全体主義と変わらない。この理論を学ばせ、同性愛を容認しなければ差別主義者として扱われる。
なぜこのジェンダーイデオロギーというのが発生したのか。マルクス主義の根本的な理念は家族破壊であった。歴史をたどるとマルクス主義は、フランス革命から始まった。マルクス主義は、多くの運動の土台となったが、特に1968年に起きた学生運動よって急進的なフェミニズムと性の解放を謳う性革命が始まったのである。そして、このグローバル性革命の実現に導く「ジェンダーイデオロギー」が既に日本の大学にも浸透し学生たちに教えられており、2022年度から高校の「公共」の教科書に同性愛や性の多様性や性のスペクトラムという概念を擁護する形で紹介しながらその正体を現すことになるが、教育者たちはこの危険性に目覚めることができるだろうか。
著者はこのような歪んだジェンダーイデオロギーを主張する学者たちは、むしろ国家と学界、財界のエリートたちによって受け入れられ、位相が高くなったと指摘し、その理由は、エリートがこれらの学者といわゆる性的少数者(LGBT)を利用して自分たちの力を集める良い道具として使えるとしながら、今は世界的な役割を果たすすべての強大国のアジェンダーとなったと明かす。特にアフリカ大陸の国々がこの強圧的な働きを感じている。 これが、国連(UN)と欧州連合(EU)の戦略であり、ロックフェラーやビル・ゲイツなどの慈善財団までもこの戦略に巻き込まれており、国の中央政府だけでなく多くの主流社会メディアが同じ声を出していると警告する。
この性革命は、過去の革命と様相が異なるのは、過去の「革命」とは、下から上に上がってきたが、この性革命は上から下に下っていく構図である。 これは、主に富と力をもっている人たちによって支持されている。そして、すべての人に影響を与える社会工学的な方法が動員されて行われている。 法律の強行と性的少数者たちを道具として使い、自分たちの目的を果たそうとしている。
著者はこのジェンダーイデオロギーが新たな全体主義を追求する方向に方向転換をしようとしているのを見て、すでに多くの事例で西欧社会が持っていた民主主義が侵害され抑圧されていると指摘し、宗教の自由、言論の自由、自分たちの子どもを教育する自由まで奪うと述べる。彼らの性革命への喫緊の課題は同性婚合法化であり、現在、幼い子どもたちにまで歪んだ性の知識を強制的に政府が洗脳しており、トランスジェンダーになる人たちが増えていると指摘する。
 第三の批判は、ジョクジャカルタ原則の世界的適用化の政策である。
 「ジョクジャカルタ原則」(The Yogyacarta Principle)は全世界的なジェンダーイデオロギーの実現のための詳細なマニュアルである。ジョグジャカルタの原則は同性愛アジェンダーを詳しく説明している。 その原則は、すべての国が憲法、社会、政府機関、保健観念や教育を変え、国民の基本的な態度を変え、同性愛者に特別な恩恵を与え、彼らの性同一性と性的ライフスタイルを受容するように法的に強制し実行する。このジョクジャカルタ原則を国連や欧州連合の傘下機関の助けを受けて世界的に浸透させようとする活動家やNGOが存在している。 ジョグジャカルタ原則の本文では同性愛アジェンダーを全世界に実行させるという目標とその方法を明らかにしている。
この原則は、多数の権利と市民的な自由を対価として非異性愛的少数者のための特権的地位を要求するものである。この文書の核心概念は「性的指向」と「性同一性」であり、その序文では、この用語の概念が、次のように定義されている。 「他のジェンダー或いは同じジェンダー或いは複数のジェンダーを持っている人のために重大な感情的・愛情的・性的魅力を感じることができ、親密な性行為をすることができる能力と理解しているものである」。
これらの定義は、どのような類型の性的嗜好や行為も、さらに小児性愛(児童との性的関係)、近親相姦(血縁関係の人との性的関係)、一夫多妻、不特定多数との性的関係或いは獣姦(動物たちとの性関係)までも排除されない。このことから、性別(ジェンダー)、性的指向、性同一性、性的表現、ホモフォビア、多様性などのような新しい用語を作り、人権と差別禁止という崇高な概念を誤用している。 この原則の核心内容は以下の通りである。
第一、非異性愛的性行為の容認である。
この原則は、次のように言及している。「他の種類の人権を享受することに影響を与えるようなものとは関係なく、すべての人は、性的志向や性同一性を根拠として差別されず、人権を享受する権利がある。・・・・性的指向、或は性同一性に基づく差別の例とは、性的指向や性同一性に基づいて法の下での平等や同等の保護を毀損し、人権と根本的な自由という平等な基礎の上に認識され、享受され、実現することを無力化させる目的や効果を持つすべての区別、排除、制限または優先を含む」。
著者はこの原則によって、正しい事、間違っている事、善と悪に対する人々の本質的な道徳的な区分が性の領域に適用されることが禁止されており、宗教の自由、良心の自由のような人権はこの原則に従属しているものとみなされ、安定的な異性的関係が社会存続に不可欠なものであるものであるにもかかわらず、性の目的が一人の男性と一人の女性の愛の結合と子供の出産であることを説教することも、教えることも、このようなことを信じながら生きることができなくなったと批判する 。
第二、男女両性の解体である。
 この原則から人間の性同一性が生物学的な性的特性でない任意的な性的指向と性同一性によって決定されるとしたので、性的指向の数だけ多様に存在するという。 もはや性別は、単に男性と女性のみで存在しない。 クィア男性、レズビアン女性、バイセクシャル、トランスジェンダー(性転換症)、間性など、多様なジェンダーが存在することを認める。
そして、これを根拠としてこの原則は次の事を要求している。結婚と親になるといういかなる地位も人間の性同一性を法的に認めることを防ぐ方式で適用されてはならないこと。国家は必ず立法的行政措置を含め、必要なすべての措置をとるべきであること。各個人が自ら定めた性同一性を十分に尊重し法的に認められなければならないこと。個人のジェンダー/性を表示しなければならない国が発行するすべての身分証明文書(出生証明書、旅券、選挙関連記録及びその他の文書に自ら定めた性同一性を反映することができる手順を確実にしなければならないこと。自分の性的指向とジェンダーアイデンティティに関する情報をいつでも、誰に、どのように公開するかを日常的に選択することができる権利を保障しなければならないことである。
著者はこの原則に対して、生物学的ジェンダーを定義することができないトランスジェンダーや曖昧な生物学的性である(間性)に生まれ、苦しむ性的少数者を言い訳に、人類と法的体系に深く定着している価値をひっくり返し、さらには、明確な研究結果でさえ無視していると批判する。
第三、LGBTIの特権の擁護である。
この原則はLGBTIの活動ための特別な権利を要求する。この特別権利が受け入れたらLGBTIのライフスタイルを促進させるための結社、集会及びデモは公共の秩序及び公衆道徳によっても何ら限度を受けない唯一のものとなる。 これは、この原則に対して同じ見解をもたない、またこの原則を促進することに反対する人々を侮辱して憤慨を起こさせる無制限の自由を与えることなる。 この種の特権は、民主主義社会では決して容認できない。 これを容認することは、民主主義を放棄することを意味する。ジョグジャカルタ原則の主な目的は、人権保護ではなく、特権を追求するためのものと考えられる。
著者はなぜ非異性愛的行動に定義されている特定の少数だけが国家から新たに制定された法律と救済措置と監督機構を通して特別な保護を受けなければならかについて説明すべきであると主張するのは、LGBTIに実質的に特権的地位を付与するものであるからと述べる。そして 国連や欧州連合は、どの集団をどれほど熱心に差別から保護するかにおいて選択的に行動し、真剣に迫害される宗教的少数者は、国際機関が性的指向に基づく差別に注ぐ関心の一部さえも受けられずにいる現実がことを指摘した。
第四、同性婚と養子縁組の権利の要求である。
この原則は、次のように言う。「すべての人は、性的指向や性同一性に関係なく、家族を構成する権利を有する。お互い異なる形態の家族はたくさんある。どんな家族も構成員の性的指向や性同一性により差別されてはならない」。
この原則には家族が何を意味するかに対する定義は、全くないが、有史以来すべての文化圏に適用される家族の基準である生物学的な子どもを出産する一人の男性と一人の女性との結婚という基準はなくなってしまった。 その代わり、変化するジェンダーをもつすべての部類の人との間の結合をすべて家族と称し、国家がこれを認め、保護し、各種の社会福祉の恩恵を提供する必要があり、国家は必)異性婚及び異性の登録パートナーに付与されてすべての権利、特権、義務、利益を同性婚や同性の登録パートナーにも平等に付与すべきであると主張する。
同性同士の関係での不妊は、「養子縁組や(精子寄贈を含む)出産補助措置を介して人工的に治癒され、国家は必ず可能なすべての立法・行政的な措置を始めその他のすべての措置を講じて、児童の最善の利益を優先的に考慮するようにしなければならず、児童や家族構成員または他の人たちの性的指向と性同一性が子どもの最善の利益と合致することができないと考えてはならないという。
著者は憲法で保障された親の養育権がLGBTIアジェンダーを実行するための障害になっていること指摘、国家は必ず個人的な見解を形成することができる児童が自分の意見を自由に表明することができるようにし、そのような見解は、児童の年齢や成熟度に応じて、当然考慮されなければならないと主張した。
つまり、それは生物学的な親に対する子どもの権利は、子どもを生産した大人たちの児童に対する権利に変わることになる。 一旦、恣意性が法律の地位にまで上がると、児童の福祉を保護する可能性はもはやなくなる。 例えば、父親が自分を同性愛者、または、心が女性であるトランスジェンダーであると決定した後、変化に富むジェンダーの他者とパートナーになったとき、直前の異性婚から生まれた子どもの親権は、このような新たな性的関係が児童の福祉に有害という理由で拒絶されることができなくなる。この原則によって、どんなジェンダーをもつ二人、或はそれ以上の人々の間で恣意的な関係が「結婚」と「家族」となり、政府補助金支援の特典も受けることになると批判する。これは個人の意志を公益よりも優先するものである。 公益の概念は消え、善悪を定義する客観的権威はもはや存在しなくなり、個人の意志と願望が最終的に善悪の基準となった。こういう人権の概念を持つ家庭と社会は衰退し崩壊へと向かう。 人間が普遍的な道徳を追求は、社会の平和と安泰をもたらすことである。
 このジェンダーイデオロギーを基盤とする包括的性教育、ジョクジャカルタ原則の世界的適用化はグローバル性革命実現の主な手段である。そして、このグローバル性革命は、新しい全体主義のアプローチである。この全体主義は、今、新たな衣を着て、イデオロギー的な背景をもった歪曲された自由、寛容、正義、平等、差別禁止、多様性という名の殻を被って現代社会に再登場している。 これは世界的な現象であり、国際機関で行われている影響力のあるロビー活動によって主導されている。このようなグローバル性革命の目的は性規範の解体である。性道徳的な限界をなくしてしまうのは、人間の自由を増大させているように見える。 しかし、それは道徳倫理感のない人間を量産し、社会構造を解体し、家庭や社会の在り方を乱し、精神的な混乱、社会的な混乱を引き起こすのである。
長い間、緻密に計画され組織的に進められてきたこのグローバル性革命によってこの世界が悪化して行くことは自然の流れではなく、邪悪な者の執拗な努力による結果であることを示している。 したがって、これに対抗するためには、危機感と切迫感をもって対抗運動に献身しなければならないだろう。 健全な性倫理を持って、偏屈なジェンダリズムの暴風を防ぐことが今、人類に求められている事であろう。               (11491字)                       

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