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劣化した電卓、劣化しない思い出

いつだったかの記事で私はキリスト教会の専任スタッフだったことを記したが、キリスト教会に赴任する前は会社員であった。旅行会社に勤めていた。

きちんとした大手の旅行会社ではあったが、採用試験ではなんと水着審査があった。
会社勤めをするために何故、水着姿での審査があったのかはいまだに謎だ。

晴れての採用通知。
辞令は希望していたとおりの営業課・国内旅行係に配属。
なんてラッキーなのだろう!花形の華やかな仕事!

ところが、だ。総務課に一人、欠員が出てしまい、あっけなくも入社三日目には総務課に回されることになった。総務課経理係の一員になるハメになったのだ。
”経理”だなんてとんでもない。ムリ。どうしたってムリ。なぜならば私は数字にめっぽう弱いからである。
経理には向いていないと課長に相談してみたが「あなたはだいじょうぶ」と言われて相談はわずか30秒で終了。

異動してデスクに着くと向かい側に素敵な男性が居た。まだとても若いのに主任だという。それに係長も若くて30代半ばの独身男性だった。
「もしかして私のことをチヤホヤしてくれるかも」とフラチな思いになったのも束の間。主任が私に向かって「俺は貴女の教育担当と言われたけれど、一切、仕事は教えません」と言い放った。「では、どうやって仕事を覚えたらいいのでしょうか」と聞き返したが返事はなかった。

仕方なく係長のもとへ行って「何をどうしたらよいのでしょうか」と尋ねたら、係長はにっこりとして「君を美穂ちゃんと呼んでもいいよね、まあまあ可愛い部類だね。あのね美穂ちゃんは入社してまもないから適当にしていていいよ」と言われる始末。
「チヤホヤしてくれるかも」は決してこんな状態のはずじゃない。手取り足取り仕事の指導をしてくれるのかと思ったのだった。それなのに係長から品定めされて何もしなくていいよと言われて途方に暮れてぼんやりとしたまま半日が過ぎた。

夕方になって主任から私は「美穂、お前って給料泥棒か?!」という言葉を投げられた。呼び捨ての上にお前呼ばわりでしかも給料泥棒とはひどい。「お前は今日一日、何も仕事をしていない。それでも月末には今日の分の給料も出るんだから泥棒だぜ」

家に帰ってから私はどうしたらいいのかを考えた。
明日からは主任にピッタリとついて仕事を体当たりで覚えよう。

以降、雨の日も風の日も主任の傍を離れなかった。
その甲斐あってか、ひとつ、またひとつと私は見よう見真似で仕事を習得していった。

仕事を覚えた私は毎日が楽しかった。
あるとき主任が言った。「美穂、お前、会社の電卓を使っているけどさ、本当に仕事を自分のものにしたいんなら電卓くらい自腹で買え。それも、とびきりいい電卓を買うべきだ」

言われたように私は休憩時間に文具店で15,000円の電卓を買った。15,000円の自腹は痛かった。
主任は笑顔で言う「美穂、自腹がツライとよけいに仕事に燃えるだろ?」と。

仕事に就いてから半年も過ぎるとパートさんたちが捌き切れないでいる事も率先して引き受けるまでになっていた。そればかりではなく主任が残業のときは私も会社に残り手伝いをした。気がつけば夜も更けて午前様になることも多く、家にはシャワーと着替えのためだけに帰るようなものだった。
休暇すらほとんどなかった。それでも経理係なので日曜日に休めれば有難いというほかない。週休二日というのは少なくとも私には関係がない。それでも楽しかった。
そして私はいつしか密かに主任に淡い恋心を抱くようになっていた。主任とならばどんな逆境の仕事でもこなせた。

そんなあるとき、主任に食事を誘われて出掛けると主任は言った。
「美穂、俺、独立するんだ」起業するのだという。
ついていきたかった。
けれども告白して関係が崩れるくらいならば、最後まで優秀な部下であることのほうを選んだ。

主任のお別れ会の夜、皆が解散しても私は帰らなかった。

「お前、いい女になったな」と主任は私を抱きしめて、私も抱きしめられたままでいた。「大好きだよ。でもバイバイ、な。今の俺の顔を見るなよ、泣きそうだから」

あれから幾つもの歳月が流れた。
押し入れを整理していたら、あのときの電卓が出て来た。劣化してもう動かなかったので私は布にくるんでそれを捨てた。
電卓は劣化したけれども、抱きしめられたあの一瞬は年月が経っても劣化することはないことを胸の中で再確認しながら。

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