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闘病する、ということ

病に倒れる以前、私はとても行動的な人間だった。
様々な事柄に挑戦もしていた。

仕事に必要だったことなどもあり、幾つもの資格を持ち、国際ライセンス資格を有していた分野もあった。
しかし闘病の身になってからはそれを以って活躍する機会は失われてしまった。

さて半月ほど前に
ふとしたことから、関心のあるセミナー開講を知った。
どうしてもそのセミナーに出席したくて問い合わせると、ワンデー講座なので、朝から晩までの受講だとのこと。
この時点で絶望した。

臥しているか、或いはデスクに座って原稿用紙に向かっていることしかできないくらいの体力しか持ち合わせていないので、セミナー会場に出向き、朝から晩までの缶詰で受講をすることは不可能なことだ。
(通院すらもタクシーを使わなければ行けない身だ)

セミナーを受けることを私はあきらめた。
不意に涙がこぼれそうになった。
「いったい、幾つの事を我慢して、幾つのものをあきらめたら良いのか」と。

闘病の身になった私にとっては、それまでの日常を奪われたといって等しい。
”病に臥す”・・・それは、私の場合、それまでの健康だったころの生活のほとんどすべての事柄を手放し、あきらめるというのに等しい。

それでも、きょうも模索している。
限られた体力と、限られたいのち、限られた時間の中で私は何をなし得ることができるだろうかと。


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