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「生きる」

パートナーであるKさんが、ある日、突然、言い出した。
「俺は作家になる」

それから数日後。
「公募しているものにエッセイを出して応募するぞ」と早速に作品を書いたというので、ちょっと見せて欲しいとお願いし彼の原稿を覗いた。

Kさんらしい言葉遣いの文面に、うんうん、なるほどと頷きながら読み進めた。その原稿の途中から私は、えっ!と思った。
なぜならば原稿用紙には明らかに私のことが記してあったからだ。

Kさんはエッセイ記事の中で私を”妻”と紹介していた。

このnoteでご存知の方々はご存知のとおり、Kさんとは互いの事情で結婚(再婚)できずにいる。それならせめてと数年前にはマリッジリングを交換し合ったが、いまだ入籍することは叶っていない。

私がえっ!と驚いたのは、Kさんが私を"妻"と紹介していたからだけではなくて、彼が書いたエッセイには
「今、わたしが前向きに生きていこうと思えるのは妻のおかげだと感じている」と記していたからだ。

Kさんのエッセイはこのようなものだった。
「妻はもともと健康で元気であった。しかし……(中略)……難病状態となった。でも妻は懸命に生きている。妻の姿から教えられたのだ。生きるということこそが前を向くということを。」

そんな内容であったので、その原稿に目をとおしたこちらのほうがビックリした次第であった。
なぜなら病に倒れた時点で役立たずの人間になったと、私はずっと思ってきた。

かつてキリスト教会で大勢の人たちのお世話をさせていただいていたが、病でそのような事ができなくなってからは「役立たずの人間」と自分にレッテルを貼っていた。
それなのに、彼は私のことを妻と呼び「病でも懸命に生きている姿に生きるということを教わった」というのだ。

繰り返すが、決して大活躍をしている私の姿にではない。
病の中にいる私から「生きるということを教わった」というのだ。

ここで私は考えざるを得なかった。
大きな仕事を任され果たすことは大事なことだ。けれども病の中にあろうとも誰かの支えにはなれるのだということを意識したことはなかった。
今一度、自身の在り方を問われる思いだ。

闘病中となり「役立たず人間」と卑下していたことがむしろ恥ずかしい。
最期までしっかりと生きること自体が”大仕事”なのだと知らされたのである。


(Kさんのエッセイが手記公募の選考会でどうなるかはわからない。
それでも、少なからず、私は彼の書いた手記に救われた気持ちだ)

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