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慟哭~欲しかった指輪の行方~

前回の記事で「ファッション・リングが欲しかったけれど我慢した」という内容を綴りました。

皆さんからのコメントの多くは「買っても良いのではないか」でしたが、私は、そのまま思いとどまりました。

さて、きのうは私が最初の手術をしてから、ちょうど丸10年が経った日。大学病院へ行き、検査をしました。結果、10年前の手術の後遺症で、かえって病は進行していたのです。それも二か所の部位でした。もう決して完治することはないとも告げられました。

大学病院から帰宅して、大声を上げて泣いていました。涙を止めようと思っても、次から次へと瞳からしずくは溢れて、声を上げて泣きました。

何回かの手術。
どの手術のときも、泣いたりなんかしなかったのに、きのうは、この丸10年をふりかえっては、声をあげて泣いている自分がいました。

ただ、ただ、病と闘った10年間。そして11年目になって「もう治らない」と判ったのです。

手術をしても、入院をしても、やさしい言葉のひとつすら掛けてはくれなかった両親。DVゆえの離婚をしたことを「恥」と言い、なにが起こっても、やわらかな態度ひとつ示さなかった両親。幼いころから私を「ブス」と呼んでは馬鹿にした両親。……親の冷たい態度やら、闘病の歳月やら、失った私の一人息子の事などが、あらためて一気に脳裏に浮かびあがって涙は止まらなかった。

「よく耐えてきたよね、わたし」・・・私は自分にご褒美をあげよう。"あの指輪"を買おうと思いました。

一緒に暮らしているパートナーのKさんは、「俺が買ってあげるから」と言ってはくれたけれども、私は私に"自分へのご褒美"を贈りたくて、そこで、わずかの蓄えを崩して購入することにしました。

きょう、指輪をオーダー。

オーダーした指輪は、この丸10年間、闘病生活をしたご褒美。そうして、治ることないと宣言された病を抱えて、この先も闘う私へのエール。

コメント欄で私を支えてくださった皆さんや、前回の記事に対して"スキ"のボタンを押してくださった皆さんに、この場でもう一度、心からの感謝と共に、ご報告をいたします。

慟哭した、きのうの大学病院。
だけど、いつまでも泣いていられないよね。

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