中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!20

希望と不安

 フードバイクを購入する前はフードビジネスを成功させる自信があったのに、勢いでフードバイクを購入した後は借金をきちんと返済出来るのかという不安の方が大きくなっていった。どうやら、日頃頭の中がお花畑の私でも借金をすると人並みに不安感を抱くらしい。この頃の私の頭の中では、購入したフードバイクの前でお客さんが長い行列を作っている光景と、誰もお客さんがいなく一人寂しくフードバイクの前で佇んでいる自分の姿が入れ替わり作り出されていた。
 コペンハーゲンでフードバイクを購入した私は、オーフス市の自宅に戻ると早速ビジネスマザーのグループチャットにフードバイクを購入したことを報告した。するとみんな大興奮して「おめでとう!」と言ってくれ、大いに盛り上がった。この時私は、想像を遥かに超える彼女たちのリアクションを見て、自分だけがこのフードバイクを使うのはもったいないと思った。そして、彼女たちの興奮がある程度収まったところで、現実問題としてビジネス用のキッチンを見つけないと食べ物を売れないことを報告した。すると、グループの内の数名が飲食店をしている知り合いにキッチンを貸してくれるかどうか聞いてくれるということになった。皆が協力してくれようとする気持ちが、私はとても嬉しかった。

 しかし、現実はそんなに甘くない。ビジネスマザーグループの人達からはキッチンを見つけられなかったという連絡が入った。私も知人に手当たり次第聞いてみたが、キッチンを貸してくれる人などどこにもいなかった。コペンハーゲンでフードバイクでトウモロコシを販売していたお姉さんが「コペンハーゲンでは、ビジネス用のシェアキッチンを提供している会社があるよ。」と言っていたことを思い出し、エミールに頼んで色々調べてもらったが、その会社は去年までオーフス市でシェアキッチンを運営していたが、業績不振のため撤退したということだった。
「タイミングが悪いのは今に始まったことじゃない。次へ行こう!次!」と自分を励まし、気持ちを切り替えてみたものの、ビジネス用のシェアキッチンはなかなか見つけられず、時間だけが過ぎていった。

日本へ一時帰国

 キッチンは見つからなかったが、勤務していた日本人補習校が夏休みに入ったので、私は子供たちと日本へ一時帰国をすることにした。その頃、息子がちょうど4歳になる直前で、娘はまだ1歳だった。1人でこの小さな子供2人を連れての長時間移動が大変なことは容易に想像がついたので、私は万全な準備をし玉砕する覚悟で飛行機に搭乗した。が、本当に玉砕した。
 飛行中、子供たちが飽きないように、おもちゃ、お菓子、本など、色々な武器を用意したにもかかわらず、1時間もせずにすべての武器を使い果たした。その結果、娘は寝ずに泣き続け、乗り物酔いし易い息子は嘔吐した。しかし、私たちの周りには親切な日本人のおばさん達が沢山座っていて、子供たちが騒いでも、泣いても、「しょうがないわよね~、子供だもん。」と言ってくれた。この寛容な一言に私はとても救われた。

 子供達を連れて日本へ帰ると、子供達への周りの対応がデンマークと日本では大きく違うことに気が付いた。
 例えば、息子は日本人の同年代の子供に比べて首一つ大きい。なので日本では息子は5,6歳くらいに見える。しかし、実際は日本語もデンマーク語も話せるどころか、理解もままならないもうすぐ4歳になる子供なのである。そんな息子が日本の空港の椅子の一角で走り回っていたら、おじさんから露骨に嫌な顔をされ「君何歳か?もうすぐ小学生か?」と言われてしまった。デンマークの空港では子供たちが走り回っても、地面をモップのように這いつくばっても、みんな微笑ましく見守ってくれていたので、この時私は少々驚いたのと同時に、他人に迷惑をかけないということを重要視する日本の感覚をすっかり忘れていたことに気が付いた。
 エミールがデンマークの小学校で勤務し始めた頃「日本の子供達はエンジェルだった!」とよく言っていた。デンマークの子供たちは日本の子供達に比べると授業中、落ち着きがなかったり、歩き回ったりする子供が多いというのである。しかし、その一方でストレスを抱えているのは圧倒的に日本人の子供の方が多いとも言っていた。
 他国民と比べて日本人は良い意味でも悪い意味でも、他人に迷惑をかけずに、周りと協力することを重要に考えている国民なのだろう。

 娘に関しては、何処へ行っても「可愛いね~!」と言われ、たまに「見て!見て!あの子可愛い~!」と大きな声で言われることもあった。
ショッピングセンターのカートに子供を乗せて買い物をしていたら、ずーっと向こうから走ってくるおばさんがいて「何だろ?」と思っていたら「この子、将来美人さんになるわよ~!」とわざわざ言いに来てくれた人までいた。娘はデンマークでも、可愛いと言われたことがあるが、それはよく皆が小さい子供に言う一般的なセリフで、日本のようにチヤホヤする感じではない。日本ではどこに行っても娘はチヤホヤされるので、チヤホヤされずに育った私としては、羨ましいと思った反面、このような環境で育った子供はどんな大人になるのだろうか?と考えた。皆からチヤホヤされるのが当たり前で謙虚さが欠けた大人にならないだろうか?勘違いしたまま人生が終われば良いが、そういかないのが人生である。さらに、痴漢や変人の心配をしなければならないかもしれない。親になると、こんな私でも色々考えるものである。
 

シェアキッチン!

 実家で半月程過ごした頃、エミールから「ビジネス用のシェアキッチンを見つけた!しかも、そこで日本食も販売して良いって!」というメッセージを受け取った。このメッセージを読んだとき、私は本当に嬉しくて飛び上がった。人間は本当に嬉しい時は飛び上がる生き物なのである。
 私はすぐにエミールとコンタクトを取り話をした。エミールによると様々な所に問合せをして、ようやくシェアキッチンを見つけたとのことだった。さすが、私の旦那様!エミールと結婚して本当に良かったと心から思った。
 早速エミールが見つけてくれたシェアキッチンの場所をネットで調べると、そこは私がデンマークへ移住した当初、エミールが「どうしてもミノを連れて行きたい場所がある!」と言って訪れたことがある場所だった。私が初めてそこを訪れた時、エミールは「将来、こういう所に住みたいんだけど、どう思う?」と聞いてきた。そこには、昔電車の倉庫として使われていた大きな建物や、一見無造作に見えるが秩序を保って置かれた沢山のコンテナ、さらに子供たちが遊べる砂場や大きなブランコがあった。それがInsitiute for(X)と呼ばれる場所だった。外の広場ではミュージシャンが演奏していて、そのすぐ横でシャボン玉が飛び交い、小さな子供たちがシャボン玉を追いかけて遊んでいた。大人たちは片手にビールやワインを持ちみんなリラックスして演奏を聴いている。おしゃれに改装された倉庫の中には植物を販売しながらお茶ができるプランカフェがあり、私たちはそこでケーキを食べた。オーフス市の街のど真ん中に位置しているのに、ストレスを感じさせないなんとも不思議でユニークそしてミステリアスな雰囲気を醸し出している場所だったという記憶している。
 エミールに「みんなでケーキを食べたあのカフェのキッチンを使えるの?」と聞いたら、「そのキッチンじゃない。もっと真ん中にあるキッチン。9月以降に空きが出るからその時にキッチンを使えるらしい。」と言われた。「そんなキッチンあったっけ?」と思いながら、とにかく私は、ビジネスマザー達にキッチンが見つかったことを報告した。すると、皆大興奮し喜んでくれた。その日以来、グループチャット内の会話は彼女たちのアイディアや、やりたいことが、次から次へと飛び交った。そんな様子を見て、私は、もしかしたら本当にキッチンが彼女たちの活躍する場になるかもしれないと思った。そして粘り強くシェアキッチンを探してくれたエミールに心から感謝した。

最愛なる子供たちへ

 ママとあなた達が日本語で簡単な会話が通じるようになったのはあなた達が5歳を過ぎた頃からです。今でも親子の意思疎通が上手くいかず、お互いストレスが溜まることはよくありますが、以前に比べると大分楽になりました。あなた達は、デンマークで育っているので、日本語よりもデンマーク語を上手に話しますが、それでも同年代のデンマークの子供たちに比べると、言語の発達は遅く幼稚園では2人共、言語の専門家に見てもらうことになりました。
 あなた達がまだ赤ちゃんの頃は「バイリンガルの子供はカッコいいな~!」とママは何も考えずに思っていましたが、あなた達を育て始めてから、親子共にきちんと努力しなければバイリンガルの子供に育てることは出来ないということに気が付きました。さらに、一般的に子供は言語を吸収する能力が高い、と言われていますがそれは幻想だということも知りました。なぜなら、どんなに素晴らしい言語環境にいたとしても、本人に学ぶ気持ちがなければ、その言語は身に付かないからです。これは大人だけではなく、小さな子供にとっても同じです。だからママは一生懸命に日本語もデンマーク語も学ぼうとしてくれているあなた達をとても尊敬しています。
 日本語もデンマーク語も、いつも一生懸命に学んでくれて本当にありがとう!


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