中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!32

ラーメンイベントの準備

 Xの11th anniversaryイベントが2020年10月3日(土)、行われることが決定したので、私たちはそのイベントに乗っかるように10月1~3日間ラーメンを販売することにした。その頃、ちょうどタイミング良くTokyo Kitchen は1st anniversaryを迎える時期だったので、私たちは勝手に「XとTokyo Kitchenのanniversaryコラボだね!」などと冗談を言っては、イベントについてワイワイ盛り上がり話をした。いつもの勢いでイベント日を決めたのは良いが、問題はイベント日まで3週間しかないということだった。早速優子さんはラーメンスープの研究を開始してくれ、翌週には数種類のラーメンスープの試作を作ってきてくれた。私とあーちゃんはそれらのスープを味見してそれぞれ自分達の意見を言うと、優子さんはすぐにスープの改善をしてくれた。何度かその工程を繰り返しているうちに「これだ!」というスープが3種類出来上がった。短期間でも美味しいラーメンスープを作れる優子さんはさすがとしか言いようがない。彼女のすごいところは、限られた食材の中で美味しい料理を作ることが出来ることである。
 私たちは醤油ラーメン、豚骨ラーメン、味噌ラーメンとサイドメニューとして餃子と唐揚げを販売することに決めた。値段をどうするか話し合ったが、今回のイベントはお客さんへ日頃の感謝をしたいという考えからデンマークでは激安のセット価格100krにした。
 ラーメンイベントは準備から大変だった。材料の発注、ポスター、オーダー表、シフトの作成、その他に受付方法を考えたり、告知などやらなければならないことは沢山あった。また来てくれたお客さん全員に料理を提供できるように、チキン54㎏、餃子16㎏、ラーメンは350食と余裕を持って多めに用意した。オープン前日も夜遅くまで準備をしていた私は既に疲労困憊だったが、この時は学校祭の準備をしているような感覚だったので、疲労感よりもイベントが始まるワクワク感の方が上回っていた。

イベント当日

 イベント初日は余裕をもって夕方からオープンすることにした。それでも私たちは再びオープニングデーの時と同様、黒歴史を作ってしまうことになった。なんと営業時間の10分前に、突然電気がキッチンに通らなくなったのである。私は慌てていつものようにブレーカーを上げてみたが、それでも電気は通らなかった。電気がないと何も料理することが出来ない。外を見ると、既に長蛇のお客さんの行列が出来ていた。この時私は、"ヤバイ!まただ!"と思った。オープニングの時もそうだったが、いつも大事な時に何か問題が発生するのである。とにかく誰か助けてくれる人を探すために私は外に出た。すると少し向こうにXのリーダーのメス・ペーターを見つけた。私はメスを呼び止め、「メス!キッチンに電気が来てない!」と叫んだ。メス・ペーターが何か言ってくれたが、彼の声は周りの騒音に消され私は彼が何を言っているのか全く理解できなかった。この時の私はおそらく一種のパニック状態になっていたのだと思う。そんな私を見て彼は、私のところまで足早に来てくれ両手で私の肩を掴み「ミノ落ち着け!何があった?」と、とても冷静に聞いてくれた。私は「キッチンに電気が来てない。助けて!」ともう一度言った。するとメス・ペーターはすぐに電気が使える場所を提供してくれ、またXの電気担当のモーンスにすぐにキッチンに行くように手配してくれた。
 メス・ペーターとモーンスのお陰でキッチンに電気が通り、予定していたオープニング時間よりも20分ほど遅れてしまったが、私達は注文の受付を開始した。ほっとしたのもつかの間、最初のお客さんの注文を取った時、受付の子に「お客さんに渡す番号札はどこ?」と聞かれた。私は急いで鞄の中を探したが今朝印刷したはずの番号札がない。この時私は、番号札を鞄に入れるのを忘れていたことに気が付いた。慌ててオープニングに使った番号札を使用したが番号を選んでいる場合ではないので、最初のお客さんに107の番号札を渡し、次のお客さんには180の番号札を渡した。こんな感じで渡す番号札がバラバラだったので呼ばれる順番もバラバラだった。待っているお客さんはいつ自分の番号が呼ばれるのかわからない状態だったため、かなり混乱させてしまったと思う。
 トラブルはまだまだ続く。麺は1食分ずつ小さい網で湯切りするはずだったが、網のサイズが小さすぎたため、ラーメンがくっついてしまい、上手く茹でることができなかった。そのため麺の外側は柔らかいのに、内側はまだ芯が残っている麺が出来上がってしまった。私たちは"麺を茹でるのなんて簡単!"と甘く考えていたため、本番ぶっつけで麺を茹でてしまったのである。さらに、麺を茹でる担当者が、「この麺大丈夫なの?」と何度も聞いてくれていたのに、私たちはそれぞれの持ち場をこなすことが精一杯で、誰も彼女の質問に答えることをしなかったのである。この日の私たちはラーメンを出すことに必死でクオリティーを考えることを全くしていなかった。

大反省

 様々な最悪なことが重なり初日は大失敗に終わった。営業時間終了後、皆でラーメンの賄いを食べながら反省会をした。誰もが大失敗だと感じ、さらに怒涛のような忙しさの中での作業だったので皆疲労困憊していた。こんな状態の中での反省会は凄ましかった。皆一気に不平不満をぶちまけた。私は、そんな彼らの様子を見て 一番責任を感じなければならなにも関わらず、"みんな元気だな~" と感心しながら彼らの意見を聞いていた。この時の私の体力は既に限界に達しており、思考さえも停止していたので私は一言も発することが出来ない状態だった。そんな殺伐とした雰囲気の中、皆からキャプテンと呼ばれて慕われていたFさんを中心に皆が改善点について話し始めた。それぞれ担当する場所をもう一度確認し、受付け、グルーピング、食事の渡す方法など、皆が納得するまで話し合い、翌日に挑むことになった。そんな彼らの様子を見て、社長が頼りないと、周りの人はしっかりするんだな~、頼りない社長も悪くないと、私は自分の都合の良いようにこの状況について解釈した。
 皆が帰った後、私と優子さんはキッチンの掃除と翌日の仕込みを始めた。まずは外の掃除からである。私は早速外に出てお客さんが食べた後のテーブルの掃除を開始した。するとあるテーブルにお客さんが食べ残した器の中に大きい塊の麺が入っていることを発見した。私はそれまで疲労困憊からフワフワした感覚の中にいるような状態だったが、その塊の麺を見て、ハッとし一気に目が覚めた状態になった。そして今日作ったラーメンがいかに酷い物だったのか現実を思い知った。そして、"そりゃ、こんな麺食べたくないよな~。ごめんなさい。明日はどんなに忙しくても、必ず美味しい物を提供します!"と心に誓った。そしてキッチンに戻り優子さんに塊の麺のことを伝えると、2人とも再び心が打ちのめされてしまった。さらにこの時、優子さんがスープの作り過ぎて肩を痛くしているということがわかった。彼女に無理させてしまい申し訳という気持ちと、彼女の肩の痛みに全く気が付かなかった私は社長として失格だというどうしようもない気持ちになった。そんなどんよりとした雰囲気のキッチンに「今日はどうだった?」と明るくキッチンに入って来た男性がいた。それが、Xの隣でplantecaffe plukkという植物とカフェを併合したお店を経営しているアンドレアスだった。アンドレアスはTokyo Kitchen が始まった当初から色々な悩みを聞いてくれる相談相手である。彼はいつも私達の悩みに対して、冷静で適切な回答をしてくれる。なので、私達は、彼のことを密かに"Tokyo Kitchen のお父さん"と呼んでいた。彼はいつものように、私たちがした失敗や愚痴を優しく聞いてくれてた。そして、「とりあえず、疲れている時は、甘いものを食べなさい」とクッキーと牛乳をくれた。私は気を許したら彼の優しさに泣きそうになったので、それを誤魔化すように沢山のクッキーを口に中に押し込み牛乳を一気に流し込んだ。あの時のクッキーと牛乳の味は今でも忘れていない。

最愛なる子供たちへ

 あなた達はいつも上手にズボンに穴を空けてお家に帰ってきます。ママが忙しくてズボンの穴を縫ってあげられなくても、あなた達はいつも「大丈夫!僕、穴好き!」と言ってくれます。
 先日、ノアの靴にいくつか穴があったのを発見したのでママは新しい靴を用意しました。そして「もう新しい靴履いたら?その靴ぼろぼろだよ。」と言うとノアは「僕、この靴が好き!ママ見て!僕の服ぼろぼろ、ズボンもぼろぼろ!僕、ぼろぼろが好きなの!」ととても堂々と言ったので、ママは思わず笑ってしまいました。そして、ボロボロ好きのあなたは恥じることなく、靴の先がワニの口のようにパッカリ開くまでお気に入りの靴をずっと履き続けました。アミもお気に入りの服やスカートがボロボロになってもサイズが多少小さくなってもずっと着続けています。
 "幸せだと感じるのは自分の好きな物を持っているからであり、他人が好きな物を持っているからではない" ということを幼いながらもあなた達は知っているようです。他人の目が気になり始める10代になっても、この感覚を忘れないでいると、人生結構楽に生きられるとママは思います。


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