中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!17

幸せな国での苦悶生活

 娘を出産してからの半年ほどの間は、幸せで慌ただしい時間が過ぎていった。いつの間にか、娘の首が座り、寝返りやお座りが出来るようになり、さらに離乳食が主食になった。子供の成長とは本当に早いものである。
 そのうち、私が勤務している補習校へ母乳を飲ませるために娘を中休みに連れて来ることや、急いで帰宅する必要もなくなった。なので、私は今まで話したことのなかった補習校の日本人の方達と話す機会が自然と多くなった。最初のうちは楽しく会話をしていたが、そのうち、講師としての私の評判が不評だということが人伝えに聞こえてきた。このようなことは生きていれば誰しもが経験することだし、私も過去に何度も失敗を経験してきたので、いつもならそれなりに反省をして数日後には次頑張ろう!と気持ちを切り替えることが出来ていた。しかし、どうした訳か、この時の私は長時間、自分を責めるようになっていた。自分の心がネガティブだと負の連鎖は続くものである。

 娘が1歳を迎える頃、保育園に通い始めることになったので、空き時間に私は再び語学学校に通い始めた。しかし、デンマーク語を勉強すればするほど、デンマーク語は私が想像していた以上に難しい言語だということがわかった。ヨーロッパ出身の同じクラスメイト達は各レベルのテストを合格し、どんどん次のレベルアップしたクラスで勉強していく。それに対して、私は全く進歩せず、テストにも合格せず、ずーっと同じレベルのままだった。さらに私の発言でクラスメイトから笑われたのをきっかけに、発言することに怖気づいてしまい、私は授業中に発言しなくなってしまった。私は完全にクラスの落ちこぼれだった。
 仕事も語学勉強も上手くいかず、さらに子育てで自分の時間をゆっくり過ごせることが出来なかった私は、自分の感情を上手くコントロール出来なくなっていた。そんな状態で生活していたので、何をしていても悲しく、ちょっとした言葉で傷つくようになり、被害妄想が津波のように毎日襲い掛かってきた。今考えると、あの頃の私は完全に鬱に陥ってたように思う。早く日本に帰って友達に会い、以前のように英会話教室を開いて楽しく過ごしたいと何度も何度も思った。いつもなら不平不満をエミールに言うと、すっきりし、大分気持ちが楽になるのだが、この時ばかりは、エミールに私の気持ちを話しても、苦悶の中からなかなか這い上がれなかった。
恐らく、エミールがデンマーク人だったせいでデンマークに来るはめになった。あのまま日本にいたらこんな気持ちになることはなかったのに!といった思いが私の心の底のどこかにあったからだと思う。
 すぐに日本に帰国できる状況でもない私は昼夜苦悶に苦しみ、どうやってこの状態から這い上がれるのか必死で模索していた。ネットで「落ち込んだ時の立ち直り方」「鬱からの離脱」「元気になる方法」などと検索しては、自分に出来そうなことを手あたり次第試してみた。自分で自分を褒めたり、自分より不幸な人を考えてみたり、美味しい物を食べたり、運動したり、テンションが上がる好きな曲を聞いたりした。さらに、デンマークで友達を作れば、海外生活がもっと楽しくなるのではないかと考え、様々な会にも参加した。自慢ではないが、私はバックパッカーで世界旅行をしていた時、英語や現地語が話せないにもかかわらず、友達を作るのが得意だった。今回も、あのノリで友達を作れば良いんだ!と思い、色々な会に参加し、新しい人達に会ってみたが、どうやら上手くいかない。年を取ったせいか、自分の中で昔のあの勢いがなくなっているのである。良く言えば落ち着いた、悪く言えば身構えている自分がいた。大人になってから友達を作るのは難しい、と聞いたことがあったがそれは本当なのだ、とこの時思った。
 自分が元気になれそうなことを色々挑戦してみるものの、苦悶は続き、どんどん、どんどん心が落ち込んでいった。こんなに長い間落ち込むことがなかったので、この時私は「時間は全ての問題を解決してくれるわけではない。」ということを初めて知った。
 デンマークは、毎年幸せな国の上位にランキングされる国である。幸せな国に住んでいるにも関わらず、当時の私は全く幸せではない生活を送っていた。

苦悶生活から這い上がった方法

 そんな苦悶生活を半年ほど過ごしていたある日、私はスーパーへ買い物へ行った。スーパーの入口の所にデンマーク人が大好きな”makrelfilet i tomat”といわれる鯖のトマト煮の缶詰がセールで売られていた。地面に置かれた大きな箱の中には、缶詰めが残り僅かしか入っていなかったので、私はしゃがんで缶詰を取り自分の籠の中に入れた。すると、私の後ろに電動椅子に乗ったおじいさんがいた。彼も缶詰を買いたい様子だったが、足が不自由なため電気椅子から降りることが出来なかった。そこで私は缶詰をいくつか手に取り彼に渡した。すると、彼は私に「tak(ありがとう)」と言った。私は彼のこの短い言葉を聞いた時、まるで魔法にかかったように、今までもがき苦しんでいた心がスーッと晴れたような気がした。私はとても嬉しくなり、おじいさんに「tak(ありがとう)」と言い返した。
 買い物が終わり、帰宅途中、スキップしたくなるくらい自分が元気になっていることに気が付いた。それはまるで数分前の自分とは別人のようであった。あれだけ昼夜もがき苦しんでいたのに、おじいさんの「tak(ありがとう)」という一言だけでこんなにも元気になったのである。私は、とても不思議に思い、帰宅後ネットで自分に起きた状態を調べてみた。すると「人は、感謝されると、快感をもたらすドーパミンの分泌が増える」と記載されてあった。なるほど!日頃使っている「ありがとう」という言葉は、こんなにも強力なパワーを持っていたんだ!しかし、「ありがとう」という言葉は私たちは普段よく使っている言葉である。この半年間、苦悶に満ちた生活を送っていた私でも「tak(ありがとう)」は何度か言われたことがある。どうしてあのおじいさんの「tak(ありがとう)」だけがこんなにも私の心を動かしたんだろ? 色々考えてみたが、あの時、あのおじいさんはとても丁寧に「tak(ありがとう)」と言ってくれた。彼が心から感謝している気持ちを感じ取ることが出来たからこそ、彼の一言が私の心を動かしたのではないだろうかと思う。たかが缶詰を取ってあげただけのに、とても丁寧にお礼を言ってくれたあのおじいさんに私は心から感謝をしたい。
 

最愛なる私の子供たちへ

 これからあなた達がもっと大きく成長するに従って、今まで以上に喜んだり、感動したりすると思いますが、それと同時に傷ついたり、悲しくなったり、切なくなったりすることも沢山経験します。楽しい時は思いっきり楽しめば良いのですが、落ち込んだ時の這い上がり方は、ママも未だによくわかりません。人に自分の気持ちを話しすっきりする人もいるだろうし、寝て起きたら嫌なことを忘れる人もいます。ママは嫌なことがあると、大体数日以内で「これも人生!」と心を切り替えることが出来きていたのですが、今回は長時間苦しみました。ただ今回この経験から、他人から感謝される行為は、自分のためにもなるということがわかりました。
 あなた達が落ち込んだ時、友達に相談したり、好きな曲聞いたり、お酒を飲んだり様々な方法で這い上がる努力をすると思いますが、その一つの選択肢として「他人に感謝されるような行為をする。」ということも入れてみてください。
 そして、ママを救ってくれたあのおじいさんのように、小さなことでも心から感謝出来るような人になって欲しいなと思いますが、まずはママがそのような人になれるように努力します!

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