中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!22

会社設立

 会社名が決まったので、いよいよ私は会社を設立することにした。起業講座では10分もあれば会社登録をすることが出来ると言っていたが、言語が苦手な私は一人で登録することに大きな不安があった。もちろん、コンサルタントに頼むことも出来るがそこには費用が発生する。そこで、無料で起業をサポートしてくれるSTARTVÆKST Aarhus のスタッフにダメ元で「会社登録をしたいがやり方がわからない。助けてくれないか?」といった内容のメールを送ってみた。超個人的な要求なので私は良い返事を全く期待していなかったが、「もちろん!ヘルプするよ!」という内容の返信がきた。「ええええ!?いいの!?」私はまさか本当にヘルプしてくれるとは思っていなかったので、このメールをもらった時、とても驚き喜んだ。その一方で、私の英語レベルできちんと意思疎通が出来るのだろうか?と不安にもなった。私の英語の語彙力は中学生レベル、さらに文法はめちゃくちゃなのである。約10年間、私はエミールと毎日英語で会話をしているが、私の英語力は大して伸びず、彼の察し能力が素晴らしいほど伸びたのが現状である。自分の英語レベルはどうであれ、やるしかない!私はかなりの不安を抱いたまま、約束した日時にSTARTVÆKST Aarhusのオフィスへ行った。

 少し早めに着いた私は、不安を打ち消すように事前に作成しておいた質問文章を何度も何度も読み直した。しばらくすると私の目の前に温和で優しそうな女性が現れた。彼女の名前はBetinaといい、本日私の担当をしてくれるということだった。私は緊張しながら案内された椅子に座ると、彼女は物柔らかい口調で、まず始めにどんな会社を設立したいのか聞いてきた。私は、オーフスの人達に日本を紹介したいこと、その始めのプロジェクトとしてまずは日本食のフードビジネスを始めたいことを伝えた。私の拙い英語にも関わらず、彼女は真剣に私の話を聞き、そして必要な情報を丁寧に説明してくれた。さらに、私の質問でわからないことはすぐに各種機関に電話し、本当に親身になって私の相談に乗ってくれた。貴重な時間はあっという間に過ぎ、1時間半ほど経った頃には、私の脳みそは使い過ぎたため爆発しそうだった。しかし、彼女のおかげでフードビジネスを開始するために必要な知識を身に付けることが出来き、疑問も解決することが出来た。そこで、私は「今なら会社の登録ができる!」と思い、彼女に手伝ってもらいながら会社を登録しようとしたが、食料品の種類や取得先など、詳細な情報を入力する必要があった。なので詳細な情報がわかってから再度自分で会社を登録することにした。
 それにしてもBetinaの仕事に対する情熱と行動力は本当に素晴らしかった。そこまでやってくれるの?って思うくらい彼女は色んな機関に問合せし、私の疑問を一つずつ解決してくれた。彼女がいなければTokyo Kitchen をオープンすることは難しかったと思う。ここまでやってくれた彼女に私は心から感謝し尊敬した。そして、私のような貧乏人でも無料で相談ができ、会社を設立出来るようなサービスを設けているデンマークは本当に素晴らしい国だなと思った。

試作品作り

 実際にどんな食べ物を販売するのか、おおよその目途がつかないと会社登録ができないことをビジネスマザー達に伝えると、彼女達はすぐに試作品作りの日程を決めてくれた。
 最初の試作品作りは街の中心にあるあーちゃんの家で行われることになった。私はフードバイクを購入した時に、デンマーク人はホットドックが好きなので、日本の具材を入れたホットドックを販売しようと考えていた。そのことを提案すると、最初の試作品作りでは、それぞれがパンに合いそうなおかずを家で作り、それらをパンに挟んで食べてみよう!ということになった。
 最初の試作品作りには4名のお母さん達が参加した。それぞれが前日の夕食の残り物のおかずを持参して来たので、まずは一つずつ試食してみることにした。さすがフードビジネスに興味がある人達が作った料理である。どれもこれも美味しかった。その中でも、ヨーロッパ在住歴20年以上のゆうこさんの料理は格別だった。なので、試作品作りは自然とゆうこさんを中心に行われた。単品でおかずを食べた後は、パンにおかずを挟んで食べてみることにした。「頭の中ではコレ絶対、パンと合うでしょ!」と考えていても、実際に食べてみるとパンと合わないおかずもあった。何事もやってみなきゃわからないものである。おしゃべりをしながら試作品を作っているうちに、誰かが「ご飯に載せて食べたいね~」と言った。たまたま、あーちゃんの家に昨夜の残りのご飯があったので、ご飯に食材を乗せて皆で食べた。それはパンに挟んで食べたものより、断然美味しかった。「やっぱり日本食はご飯に合うよね~。」「私たち、日本人だからそう思うのかしら?」「もうお腹いっぱいだから、今夜の夕食作りたくないね~(笑)」などど、おしゃべりしながら試作品作りは進んでいった。Tokyo Kitchenで販売する料理がおおよそ決定した頃、それぞれの子供たちの幼稚園のお迎えの時間になったので、私たちは解散し帰宅することにした。
 自転車で帰宅途中、私は「今日の試作品作りは楽しかった~。沢山笑ったし、お腹もいっぱいになって、何だか部活動をしているみたい。これが仕事で良いのかしら!?」と思った。

 数日後、私はエミールと一緒にネットで会社の登録をした。STARTVÆKST AarhusのBetinaに、初めて会社を設立する場合は、個人事業主として登録した方が良いと薦められていたので、私たちは彼女の言う通り個人事業主として登録することにした。ネットでの手続きには多少手間取ったものの、問題なく登録が終了し会社を設立することが出来た。ビジネスマザー達に無事に会社を設立したことを報告すると、みんな大喜びしてくれた。そんな彼女たちの姿を見て、会社は個人事業主として登録したが、これは皆の会社だと私は思った。

ビジネスにおいて一番大切なこと

 Tokyo Kitchen をオープンするために準備しなければならないことは沢山あった。試作品作りだけではなく、銀行への問合せ、保健衛生局への問合せなど頭が痛くなるような手続きもしなければならない。もう「私、言語が苦手だから!」とは言ってられない状況になっていた。
 この頃、ビジネスマザー達の間では、本格的にTokyo Kitchenで一緒に働きたい人と、そうでない人、例えば自分のビジネスを開始したい人等が徐々に顕著に分かれてきた。私は、今後のためにも新しくTokyo Kitchenのグループを作った方が良さそうだと感じた。さらに、日本人補習学校の保護者の間でもTokyo Kitchenの噂が広まっているといことが耳に入った。私は、ビジネスマザーミーティングを通して、仕事をしたい日本人女性が沢山いることを知ったので、もしかしたらTokyo Kitchen で働きたい人がいるかもしれないと思った。そこで私は「もし一緒に働きたい人がいたら、ぜひ一緒に働きませんか?」と知っている限りの日本人女性のグループや個人に声をかけた。その結果、最初から積極的に参加してくれていた、あーちゃんと優子さんの2人のみが手をあげてくれた。私は最初この結果に少々ショックを受けた。なぜなら、Tokyo Kitchenを設立した時みんな盛り上がってくれていたし、補習校の保護者の間でもTokyo Kitchenに興味がある人がいると聞いていたので、私はてっきりもっと多くの人がTokyo Kithcenに参加したいものだと思っていた。しかし、当たり前だが「Tokyo Kitchenに興味がある=実際に一緒に働きたい」というわけではないのである。この結果を知った後、自分に自信が無い私は、自分自身にリーダーとしての魅力がないのだと思って悲観になったりもした。しかし、後からよくよく考えてみると、確かに私はリーダー的な性格でもなければ、そんな経験もない。そう考えると、2人も手を挙げてくれて有難いじゃないか!と思うようになった。どうなるかわらかないビジネスにもかかわらず、参加の意を示してくれた2人は、この時から私にとってとても心強い存在になった。
 あーちゃんと優子さんと私の3人で本格的にTokyo Kitchenについて話し合うことになったが、3人とも日本では教育関係の仕事をしていたので、フードビジネスについては何の知識もなかった。何もわからない状態だったので、まず、自分の会社を持っていて、デザイナーでもあり、Tokyo Kitchenのロゴを作成してくれた陽子さんに相談することにした。すると、すぐに会ってくれることになり、ついでに業務スーパーやXキッチンを一緒に見学してくれることになった。集合場所だったあーちゃんの家に行くと、既にあーちゃんと優子さんと陽子さんは車の中にいて、ビジネスの話しをしていた。あーちゃんは携帯でメモを取りながら一番遅く到着した私に「もう始まってるよ!」と喝を入れた。彼女たちは、既にやる気満々だった。陽子さんは色んなことを教えてくれたが、その中でも一番心に残っているのは「ビジネスは継続させることが一番大切!」ということだった。「どんなに小さなビジネスでも続けている限り、失敗で終わることがない。」彼女のこの言葉は私の胸に突き刺さった。私はこの時まで、ずっとビジネスを成功させることばかり考えていたので、継続させることの方が重要なんて思いもしなかった。「ビジネスは継続させることが一番大切!」この言葉は私のビジネスライフの座右の銘になったことは言うまでもない。

 私たちはまず始めにincoという業務スーパーに行った。そこは会社を持っている人だけが買い物が出来る巨大なスーパーである。そこには想像していた以上に日本の食料や調味料があり、野菜の品揃えも豊富だった。ここに来るまではどこで日本の食料を入手したらよいのかわからなかった私は、ここに来たことによって少し安心することが出来た。
 業務スーパーを見学した後は、Xのキッチンを見に行った。私が前回Xに来た時は週末だったので沢山の人がいて賑わっていたが、平日の昼間のXには数人程度しかいなく、とても静かな雰囲気だった。教えてもらった相性番号でカギを取り、みんなでキッチンに入ると、優子さんとあーちゃんは「キッチン、可愛い~!」とそれぞれ声をあげ、興奮していた。それからキッチンの裏側に行ったり、窓からXの人を発見しては「あの人何しているんだろうね?」と話したりした。
 しばらくおしゃべりをした後、私たちはキッチンにどんな調理器具があるのかチェックすることにした。オーブンが2台、パンを捏ねる機材、電気コンロが4台、その他、色々なサイズのお皿や、大きなポット、食材を保存する器など、一通り調理に必要そうな物は揃っていた。日本では見たことの無い調理器具もあり、「これ何に使うんだろうね?」と誰かが言うと「〇〇に使うんじゃない?」と誰かが冗談を言い、みんなで大笑いした。この時の私たちは、まるで女子高生のように、何でもないことにキャッキャッとはしゃいでは大笑いした。しばらくキッチンで「あーだ、こーだ」とおしゃべりしているうちに、これからお世話になるキッチンだから、別日に皆で大掃除をしようということになった。
 鍵をかけキッチンを出る時、私はキッチンに向かって「これからお世話になります!宜しくお願いします。」と頭を下げて挨拶をした。
 
 Xのキッチンを見学した後は、陽子さんの自宅に行き、皆でまた「あーだ、こーだ、」とおしゃべりしながら、ロゴの最終デザインと会社の名刺のデザインを作成した。会社の名刺のデザインが出来上がると、Tokyo Kitchen がそれなりの会社に見えてきた。

最愛なる子供たちへ

 ママが Tokyo Kitchen を始める時、ババ(ママのお母さん)にフードビジネスの話をしたら「商売なんて始めたら忙しくなって、子供と一緒にいてあげられないわよ。子供が小さい時は一緒にいてあげなさい。育児が疎かになる。」と反対されました。しかし、ママは子供の時から素直に親の意見に従う性格ではなかったので、いつもの通りババのアドバイスを無視してフードビジネスを始めました。ババに反対された時は「何で応援してくれないんだろ?」と寂しくもなりましたが、今では反対する人がいても良いのではないかと思うようになりました。なぜなら、起業する時に必要な能力とは、どんなに周りに反対されても実際に行動する力だからです。
 確かにこの頃のママは、Tokyo Kitchen 以外にも、日々の家事と育児、デンマーク語の授業、日本人補習校での勤務があり、毎日とても慌ただしく過ごしていました。もしかしたら、あなた達はママがいなくて寂しい時間を過ごした時があるかもしれません。しかし、あなた達にはファーもいるし、ファーモアもファーファーもいます。皆で協力して沢山の愛情を込めながらあなた達を育ててきました。
 日本では、子供が3歳になるまではママと一緒にいた方が良いと考え子供が小さい時は専業主婦を選ぶ女性は多いですが、デンマークではほとんどの女性は子供が1歳前後で仕事に復帰しています。もちろん、各家庭の問題や、個人の考えがあるので、どちらが良いなんてことはありません。
 ただ、ママはあなた達がまだ幼い時に起業しましたが、それで良かったと思っています。重要なのは決断をした後、育児でも仕事でも何でも一生懸命やることです。そして、助けが必要な時はきちんと「助けて欲しい!」と言うことではないかと、ママは思います。 


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