見出し画像

初めての高校サッカー選手権。Jリーガーの青年期。

みなさんこんにちは。
高木利弥です。

今回は前回の続編で、
僕が帝京高校サッカー部に入ってからの話について書かせていただきます。
まだ読んでいない方は、
ぜひマガジンの『僕の生い立ち。』をご覧ください。
では、本題に入ります。

高校サッカーの迫力に驚愕

『高校生編』にも書かせていただきましたが、
色々な経緯から帝京高校サッカー部に入部することになった僕ですが、
ここで帝京高校サッカー部に関して少し紹介させていただきます。
帝京高校サッカー部は、
全国高校サッカー選手権出場34回
その中で優勝が6回・準優勝が3回
全国高校総体(インターハイ)出場32回
その中で優勝が3回・準優勝が4回
と輝かしい成績を残しており、
高校サッカー界屈指の名門校です。
OBの方々には、
もちろんJリーグで活躍されていた・今もされている選手が数多くいますし、
またサッカー部だけでなく、
他の部活動も強豪校として有名な高校です。

帝京高校に入学した僕は、
しばらくの間は同い年の選手たちと1年生チームとして試合をしたり練習をしたりと活動していました。

そんな中、今でも鮮明に覚えているのですが、
入部してまもなくした頃に、
当時帝京高校サッカー部が練習拠点にしていた東京都清瀬市にある清瀬内山グランドでトップチーム(1軍チーム)が練習をしているのを見るときがありました。

その時の雰囲気が、
中学生年代から上がってきた僕には衝撃的でした。

帝京高校サッカー部は練習場に監督やコーチが現れると、
部員全員立って大きな声で「こんにちは」と挨拶をします。
活字にするともはや軍隊レベルですね。笑
その後練習が開始されます。

また練習の最初に行われるメニューがブラジル体操というウォーミングアップで、
みんなで列を作って声を出して動きを揃えるという体操をします。
ちょっと説明が難しいので、
詳しくはYouTubeなどで検索してみてください。

そのブラジル体操をトップチームがやっているのを目の当たりにし、それもまた衝撃的でした。
見事な程に部員全員の動きが揃っていますし、
キャプテンの掛け声から部員の掛け声と大きな声で、こんなかっこいい迫力のあるブラジル体操は初めて見ました。
中学時代にもブラジル体操をやっていたのですが、
迫力は天と地の差がありました。

僕はこの時とんでもないところに入ったんだなと感じましたし、
高校3年間のうちにこのトップチーム(1軍)の選手のようになれるのかと少し不安になったのを覚えています。

衝撃を受けたのはもちろんブラジル体操だけでなく、
フィジカルの部分・技術の部分と中学生から上がりたての僕からしたら何もかもが大人なのかと思うくらい身体が大きくてどれをとっても質が高かったです。
そんな衝撃的なことはピッチの中だけではありませんでした。

厳しすぎる上下関係

僕はJリーグFC東京の下部組織出身ということで、
そこまで厳しい上下関係を経験していませんでした。

帝京高校サッカー部は冒頭でもお伝えした通り高校サッカー界屈指の名門校になります。

昭和年代の方々なら
この名門校が故の伝統的な上下関係というものが存在していたのはご存知かと思います。

現代ですとかなり問題になってしまうので、
今まであったような厳しい上下関係はなかなかないと思いますし、
時代だったと言ってしまえばそこまでですが、
一言で表すならば理不尽なことだらけでした。笑

これは上下関係に限った話ではありませんが、
当時はすごくしんどいことや逃げ出したくなるようなことがあっても、
大人になった今、それらを振り返ってみると大体の話が笑い話になりますし、
当時の仲間たちとたまに会うとほとんどがそういった昔話で盛り上がります。

ここではその上下関係について少しだけ紹介しますね。
ここでは書けないようなことも多々ありますが。笑

まず挨拶ですね。
挨拶はかなり言われました。
先輩と目があったらとりあえず挨拶をする。
自転車に乗っていたら乗りながらではなく、
しっかり降りて挨拶をする。
自転車に乗っている時に何人もの先輩とすれ違ってしまったらそれは地獄でした。笑

あとは、
電車で先輩と同じ車両に乗ってはいけないとか
コンビニに寄っている所を見られてはダメとか
携帯電話を触ってる所を見られてはダメとか
それはまぁたくさんありました。
正直、言い始めたらキリがないです。笑

もっとすごい決まりとかあったんですが、
書けないこともあるので割愛します。

あとは、
監督はじめコーチの方たちも厳しかったです。
ピッチ内・外とにかく厳しかったです。
ただ今振り返ればそこには、
監督であった廣瀬龍さんやコーチの方々の熱意だったり愛情だったりがしっかり織り込まれていたんだなと思います。
なので、
僕としては良い思い出ですし、
成長させてもらったと思います。

初めてのトップチームでの試合

そんな上下関係や監督・コーチの厳しさに耐えながらも練習に励んでいた僕ですが、

1年生の夏ごろからトップチームでの試合に絡めるようになり、
憧れであった全国高校サッカー選手権の予選に出ることができました。

まだまだ身体の線は細かったですし、
フィジカル的にもまだまだな僕だったので、
初めてトップチームの試合に使ってもらった時は自分でも驚いた記憶があります。
あの衝撃を受けたトップチームで試合に出るなんてまだまだ先のことかなと自分でも思っていましたし、
僕でやれるのかなと思っていた気持ちもありました。
ただ部員全員が試合に出たいわけですし、
ましては下級生の僕が試合に出ることで上級生の先輩たちが試合に出られないということを考えると、
生半可な気持ちでピッチに立っていてダメだと自分に言い聞かせていました。
やるからにはやってやろうって感じですかね。

実際に選手権予選では何得点何アシストかはした記憶があります。(曖昧ですみません。)
それと今更なのですが、
僕は現在は左サイドバックとして主にディフェンスのポジションでやらせてもらってますが、
小学生〜高校生まではサイドハーフだったりフォワードといった攻撃的なポジションをやっていました。
サイドバックにポジションを変えた経緯に関しては、
大学生編の時に書かせていただきます。

話を戻して、
1年の夏頃から試合に絡むようになり、
冬の選手権の予選も順当に勝ち上がり、
ついに次勝ったら全国大会に出られる予選決勝まで辿り着きました。

予選決勝は、
全校応援といって帝京高校の生徒総出で応援に来てくれるという体制で応援していただきました。
私立特有の応援スタイルですし、
決勝の舞台は西が丘サッカー場という帝京高校から近い会場でもあったので、
物凄い数の学校関係者の方々が応援に来てくれました。

僕が子どもの時に憧れていたスタンドの声援やブラスバンドとチアリーダーの演奏や応援を実際にピッチに立ちながら聞くこと・見ることができて、
この時はさすがに鳥肌が立ちました。

FC東京のユースチームに昇格ができず悔しい思いをし、
高校に上がっても毎日毎日ほんとに厳しい練習を積んできて心が折れそうになった時もありましたが、
あの全校応援のピッチに立つことができた時は高校サッカーでやってきて良かったなと思いました。

そんな雰囲気の中行われた決勝は無事に勝利することができ、
全国大会である高校サッカー選手権への出場権を勝ち取ることができました。

注目度の高い選手権

全国大会1回戦時の写真。上列左から2番目が僕です。(当時高校1年生)


予選決勝の頃から感じていたことではあるのですが、
全国大会に出場すると決まると、
世間の注目度が一気に高まります。
これはさすが選手権だなと思いました。

僕は当時1年生だったということと父親の存在というのがあって、
テレビの取材やサッカー誌の取材・スポーツ紙の取材など数多くの取材やインタビューがありました。

もちろんそのような経験は初めてで、
父の影響もあってからか正直、自分の活躍以上に注目されていたのは自分でも感じていました。

当時はそれが結構重荷というかいわゆるプレッシャーというのになって、
メンタル的に苦労した記憶があります。
注目されることはもちろん嬉しいのですが、
自分の実力がまだまだ伴っていないというのにモヤモヤしていました。
大人になった今では、
あまりに気にならなくなり、
むしろ見てもらえるということにフォーカスするようになりましたが、
この時はまだ経験不足でしたかね。

迎えた全国大会1回戦。
相手は広島皆実高校。(広島皆実は結果的にこの大会の優勝校になります。)
僕は先発出場したのですが、
いいパフォーマンスができず、
途中交代。
チームもPK戦の末、敗れました。初戦敗退。

ゲキサカさんより。帝京vs広島皆実

初めての選手権でこの上ない悔しい思いをしました。
順調に予選を勝ち上がり、
全国大会に出場することができた。
少なからず自分の中で、『やれる』という感覚はありました。

しかし実際に戦ってみた全国の舞台というのは、
フィジカル的にもそうですし技術的にもレベルが違いました。
試合に負けたことはもちろん悔しかったですが、
自分の力が通用しなかったことが何よりも悔しかったですね。
全然まだまだなんだと。
また試合後のロッカールームで涙する先輩たちを見て、
高校3年間で費やした努力はとんでもないものだったんだなと思いました。
下級生で試合に出るということは、
上級生のそういった思いも背負ってやらないといけないと痛感しました。

この大会を通じてサッカーはもちろんですが、
精神的にも成長してこの舞台に戻ってきたいという気持ちになりました。

少し長くなりましたが、
今回はここまでにします。

次も引き続き高校生編になりますが、
予告としては、
学年を2年、3年と上げていくなかで、
様々な壁に当たりながらも全国大会に出場して1年生の時に経験した悔しい思いを晴らすことができたのか。
高校から大学に上がるまでの進路に関しての話も書いていきたいと思います。

次回も引き続きよろしくお願いします。

                高木利弥

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?