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たゆまざる歩み恐ろしかたつむり(北村西望)

たゆまざる歩み恐ろしかたつむり(北村西望)
 
「たゆまざる歩み恐ろしかたつむり」という言葉は、北村西望の詩『たゆまざる歩み』の一部です。ここでの「たゆまざる歩み」は「絶え間ない歩み」や「止まらない歩み」といった意味で、努力や進歩が継続していることを表しています。
 この詩は「たとえ歩みが遅くとも、絶え間なく努力し続けることが大切であり、その姿勢が尊いものである」といったメッセージを伝えていると考えられます。
 
 皆さんは「ピーターの法則」というのをご存じでしょうか。
 
 どんな制度のもとでも人は各ポストごとに評価され、昇進していきます。現在の地位で有能と評価されれば、次の段階に昇進するでしょう。昇進後の地位で評価されなければそれ以上昇格せず、無能化します。
 一定のポジションに落ちつけば、たとえ成果を上げていなくても、その地位から降格することはありません。自己を成長させようという意識がなくなり、そのような管理職がポストを占めることで、組織全体が能力を失うことになります。
 ピーターの法則が生じるもうひとつの理由は、能力のない上司が人事の評価を行っていることです。 上司は部下を正しく評価できないため、その役職にふさわしくない人材を昇進させたり、ふさわしい人材を昇格させずにその能力を活かせなかったりします。能力のない管理職が力を持つ組織では、役職にふさわしくない人材が昇進し続けることにもなりかねません。
 
 あなたは小学校では「よい子」だったかもしれません。そして、中学校では上位1割に入り進学校に合格したとします。すると、成績優秀だったあなたは「ただの人」になります。それでも、頑張って国立大学に合格したとします。すると、自分以上の「できる人」が多く「ただの人」から「できない人」に転落することが多いのです。
 
 この時点で、自分に絶望した人は努力をやめてしまいます。「とりあえず食っていけたらいいや」となり、大学を卒業しても勉強し続ける人はほとんどいなくなります。しかし、中にはかたつむりのように周囲の評価など視野に入れず子供のように夢みて生きている人もいます。
 
 絶望してしまった上司など視野から追い出す必要があります。それは、学校も同じこと。教師の言うこと、評価など視野に入れる必要はありません。教育委員会や文科省の決めたルールで評価されて「ダメな奴」と太鼓判を押されても気にする必要はありません。
 
 アインシュタインやエジソンが学校で高く評価されなかった理由はいくつかあります。

  1. アインシュタインの場合:

    • 学校のカリキュラムとの不一致: アインシュタインは公式な教育システムにあまり適応できず、特に厳格な教育方法や従来の科目に興味を示さなかったため、教師や学校からの評価が低かったです。

    • 教育スタイルの違い: 彼は自由な発想や独自の考え方を重視し、標準的な教育法やテストのような形式に馴染まなかったため、学校の評価が低くなることがありました。

  2. エジソンの場合:

    • 学習障害: エジソンは幼少期に注意欠陥や聴覚障害があったため、学校での成績が良くなかったとされています。教師や学校からは特に能力を期待されていなかったことも影響しています。

    • 学校との不適合: エジソンは学校の公式なカリキュラムや規則に従うことが難しく、むしろ自分の興味を追求することに集中していたため、学校での評価が低かったです。

 もし「織田信長が現在に生まれていたら」学校の教師に高く評価されていたでしょうか?もしかしたら、ただの非行少年・不良と判定されて退学になっていたかもしれません。
 
 私の指導させてもらって京大医学部医学科に合格した生徒の中には、学校のカリキュラムを無視している子が多かったです。「授業は役に立たない」と公言して、教師から睨まれていた生徒もいました。
 
 優れた生徒は、凡人の決めた教育システムやルールに従うのを嫌うことが多い。創造的な人ほど、他人の決めた“しきたり”には従えないのです。だから、織田信長は破壊者・革命家と評されるわけです。もし、あなたが学校の校則に従えないのなら自分を責める必要はありません。
 
「たゆまざる歩み恐ろしかたつむり」です。ぜひ、この恐ろしいかたつむりになって下さい。自分の道をひたすら歩み続ければ、必ず道は開けてきます。

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