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英語 伝道の書

英語 伝道の書 

高木巌の子、英語講師である伝道者の言葉。
 
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
 
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
 
前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。伝道者であるわたしは日本で、英語講師であった。わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべての英語ことを尋ね、また調べた。
 
これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。
 
わたしは心の中に語って言った、英語の全てを知ろう。ローガン中学校で教師をし、英語検定1級に合格し、京大二次試験で8割を超え、指導した生徒の4人が京大医学部、2名が阪大医学部、2名が名大医学部に合格し、私は「私の京大合格作戦」(エール出版)に紹介された。
 
「わたしは、わたしより先に英語を治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
 
それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。
 
わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空であった。 わたしは笑いについて言った、「これは狂気である」と。また快楽について言った、「これは何をするのか」と。

わたしの心は知恵をもってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを、見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。

わたしは小さな塾を経営した。わたしは自分のために家を建て「酔拳」のジャッキーチェンに会い「飛び出せ!青春」の村野武典さんと話し、NHKの小谷真生子さんと知り合った。
 
わたしより先に塾業界ににいた講師よりも、知名度があがった。わたしの知恵もまた、わたしを離れなかった。なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。
 
わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。 そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。
 
 わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。

知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。

そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。
 
わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。

それでわたしはふり返ってみて、日の下でわたしが労したすべての労苦について、望みを失った。 今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大いに悪い。

 そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。

人は東大、京大、阪大、名大などの有名大学をめざす。それは、よい収入を得て自己満足をしたいからだ。 人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。

だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
 
旧帝に合格しようが、豪邸を建てようが、すぐに忘れ去られる。すべては空であって、風を捕らえるようである。

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