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理系から文系へ、英語講師から数学講師へ(7)

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理系から文系へ、英語講師から数学講師へ(7)
 
第七章、数学との再会:教育者の旅
 1974年、大学受験が迫る5日前。私は二階の勉強部屋で数学に取り組んでいました。突然、手足が震え始め、椅子から落ちてしまいました。私は叫びました。「お父さん、ボク変だ」。父は駆け上がってきて、私を見て言いました。「お前、何をしてんだ」。その後、私は近くの総合病院に運ばれました。
 
 看護婦さんは私の手足を押さえつけながら、「アレ?高木くん、どうしたの?」と言いました。彼女は私の中学校の先輩でした。診断結果は神経衰弱、いわゆるノイローゼでした。私は頭がおかしくなることを心配しましたが、医者は言いました。「そういう人もいるが、身体に症状が出る人もいる」と。
 
 この経験を通じて、「自分は、どうも文系人間らしい」と覚悟しました。名古屋大学の教育学部で勉強しているとき、「自分は先生かなぁ」と思い始めました。卒業後は英語講師として働き始め、数学に触れることは私にとってタブーになりました。それから20年間、ひたすら英語を勉強し、数学は中学レベルだけを教えていました。民間では、英語講師だけでは仕事が得られませんでした。
 
 しかし、自分で塾を始めると、「明日は理科なのに、英語の授業ですか?」と生徒から文句が出始めました。それで、英語と数学に加えて、理科、社会、国語の指導も始めました。
 
 やがて優秀な生徒が来ると、高田、東海、灘、ラサールなどの難関高校の数学の過去問にも取り組むようになりました。そして、ある日気づきました。そういう優秀な生徒からは、「高校に入っても指導をお願いできませんか?」というリクエストが入り始めました。最初は英語だけの約束だったのに、中学生と同じように数学の質問も入り始めました。
 
 それで、私は考えました。「灘高の入試問題の数学が解ける私なら、高校数学も大丈夫かな?」「高校クラスも作りたいし、試してみる価値はあるかな」と。近所の本屋に行って高校数学の参考書・問題集の棚を見ました。懐かしい「オリジナル」が目に入りました。四日市高校の悪夢が蘇りました。しかし、それは新たな挑戦の始まりでした。数学との再会、そして教育者としての新たな旅が始まったのです。このエッセイは、その旅の一部を描いています。私の経験が、あなたの旅に何かのヒントを与えることができれば幸いです。
 
★当塾の医学部合格実績★
京大医学部医学科6名(2024,2022, 2016, 2014, 2013)
阪大医学部医学科4名(2023-3名、2014)
名大医学部医学科2名(2018, 2013)
 
高木繁美。「高木教育センター」塾長。
 名古屋大学卒業後、アメリカユタ州で中学校教師をした後、帰国。英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級などに合格。京大二次試験を7回受けて出題傾向を調査。英語81%、数学70%の正解率。少林寺拳法二段。ジャッキー・チェンの前でヌンチャクを披露したことが自慢。「私の京大合格作戦」(エール出版)2020年度版から2022年度版に漫画化されて掲載。チャットワークを用いた質問無制限の通信添削を全国の難関校受験生対象に募集中。「高木教育センター」検索。
桑名市で指導中。God bless you. 指導を希望される方は、HPをご覧ください。

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