信じる


私は誤解していた。

「多くの人に愛されている人」が美しいのだとずっと思って生きてきた。

そうじゃないのかもしれない。

「愛されている」より、
「愛してる人がいる」
そういう人が美しいのではないかと思った。

愛せる人がいる、という事がその人が美しく見える事なのだと、気づいた。

1億人の人から愛されてる人も、確かに美しい。


でも、たった一人でも本当に愛してる人がいるというのは、

そちらの方が私にとっては価値のある事かもしれない。


愛してる、というのはその人を信じている事だから。

この地球では信じられない事ばかりだから。

世の中のお母さん達が強く美しく見えるのは、
愛してる人がいるから。
なのではないだろうか。


夫だったり、多くは子供の事をとても愛している。

愛してる、というのは相手を信じている事だから。


自分の中からもう一人別の人間が生まれてきて、

その人は初めの頃、自分が目を離してしまったら死んでしまうような存在で、
その人は命を完全に自分に依存していて、
その人は自分の事を絶対的に信じていて、

そしてだんだんと大きくなり、自分から巣立って行く。

そういう存在を目の当たりにしているから、

人を信じられるようになる。
人を愛するようになる。

誰かを愛しているから、愛してる人がいるという事が、
それが母親が美しく見える理由なのではないのだろうか。

多くはその過程で悩んだり壁にぶつかったりもするけれど、

途中で信じられなくなったり、分からなくなったりもするけれど、

それでもまた道を探しながら、

結局は信じる。


相手を信じる過程で、自分を信じる。

自分を信じる、と言う事を学ぶ。

信じる事はきっと、愛する事と同じだから、

自分を信じたり愛する事を学んでいくから、

多くの母は強く見えたり、美しく見えたりするのではないだろうか。

本当に強いのかは分からないけど、
やっぱり美しく見える。



私は10月に入って、エディサロンが閉会される前にアーカイブを集中的に見て
勉強していた。

そこで、色々なことが分からなくなってしまって、
途中までは上手く行っていたけど、
結局は失敗した。

私はエディさんがエディサロンの中で強く伝えているメッセージは、
「自分を作り直していく」事だと思った。

それに集中して取り組んでいた。
上手く行かなかった。


「自分を作り直すには、自分を消す作業が必要。」
「その為にはどれだけ過去の自分を嫌いになれるか。」

これをやっていて、辛くなってしまったのか。
分からない。とにかくかなりキツくなってしまった。

途中までは腸で作り直した別の人格が出てきた感じで、
その人格になれる事はとても私を楽にしてくれると、感じていた。

でも、何かが違って、また苦しくなった。

しばらく色々なものを信じられなくなっていた。


腸を信じられなくなったのではなく、
自分の事が信じられなくなっていたのだと分かった。




先日、子供の学校の合唱祭があった。

多くの歌詞に「信じる」という言葉が使われていた。



歌にする、詞にする、という作業は、

何か自分の心の中の吐露だったり、

心の琴線に触れた事だったりを書く場合が多いと思うが、

多くの人がこの「信じる」という事について悩んだり、模索している事が、歌を聞いていてよくわかった。

ああ、私だけじゃないんだ。
と、分かった。

みんな自分の事が信じられなくなるんだ、と分かった。



私より自分の事を信じられなくなる人がいる、
私より他人の事を信じられなくなる人がいる、

という事が分かった。


それが分かったら、もう少し私も人の事を信じても良いんじゃないかと思った。

もう少し、自分を信じてみよう、
と思った。



腸の話の中で、エディさんも言ってるけど、
「自分の事を好きになり過ぎる危険性」についてよく語られている。

それは成長しなくなる事だよ、と。

ただ一方で、自分の事を全く愛していないと、
本当に何もやらなくなってしまう。

成長しよう、という意欲は、ある程度の自分への信頼がないと
出来ない事だと思う。

だから、それを根こそぎ「自分を好き」だという気持ちを抜いてしまうと、
自分自身を信じられなくなってしまう。



「自分が好き」と言う気持ちには2種類あるのかもしれない。

傲慢的な方へ行ってしまう気持ちの好き。と、
自分への信頼の好き。

前者の好きは、成長が出来ないが、
後者の好きは、持っていないと、成長するための栄養がないのと同じなのではないか。


私は、後者の好きの気持ちまで、捨てようとしてしまっていたのではないか。
だから苦しくなってしまったのではないか。

自分への信頼は捨ててはいけない。

谷川俊太郎の「信じる」の詩でも、
自分を信じる事、
他者を信じる事、

そして最後に
「信じることは生きるみなもと」と言う言葉が出てくる。

ハッとした。

信じてないと本当に何もかもどうでもよくなってしまう。



この世界は裏切られたりもするけれど、
みんな、何かを信じていることで成り立っている、
世界なんだ。


身近な所で言うと買い物一つとっても、みんなお金の価値を信じているから、
買い物が出来るし、

店員さんを信じているからお金を支払うし、
働いている人達みんなを信じているから食べ物を買ってそれを食べられるんだし、

とにかくみんな、いろんな場所で、いろんな人たちを信じて
この世が回っている。

これを悪用されたりする事もあるけれど。



だからこそ信じる人はちゃんと選ぶ。

何でもかんでも信じてる人が良い人なわけじゃない。


だからと言って、何も信じられないのは、
とても生きづらいし、苦しい。

演じないとこの世では生きていけないから。ちゃんと演じ分ける。

腸もいつも演じている。


まずは自分を、信じる。

全ての自分を信じると言うより、

信じて良い自分を信じる。

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