週刊タカギ #35

こんばんは。高城顔面です。
フリマアプリでトラブルが起こり、互いの主張が平行線で摩耗しています。
たすけてくれ……。


きょうは9/20(金)。短歌評を掲載します。

もづく酢の酢に咽せてをりこれ以上われから何が搾り出せるか

田村元『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店,2012)

わたしは、北海道の室蘭市という港町に生まれ、2014年に大学進学のため札幌市に移住、その後、病気療養のため休学してみたり、ニートを経験したのち、なんやかんやで短歌を始め、出身大学の短歌会の立ち上げに参加し、いまは一介のへっぽこ事務員としてなんとか暮らしている。

今回取り上げる田村元は、群馬県出身、北海道大学法学部卒(2000年)であり、札幌で過ごしてきた時期は違えども、北海道にゆかりのある歌人として(勝手ながら)親近感を覚える歌人である。そして現在はサラリーマンとして働きつつ、歌集を二冊、エッセイ集を一冊刊行している。本稿では、田村の第一歌集『北二十二条西七丁目』についてつらつらと書いていきたいと思う。

この歌集の中での、田村の歌の特色としては、数としては多くないが、詩的な抒情性が強い学生時代の青春詠と、社会生活の中でうずもれてゆく息苦しさやそれに対する内なる抵抗を詠んだ生活詠、そしてその中にするりと織り込まれてゆく、飲食の歌の匙加減の絶妙さにあると考えている。

青春詠としては、
真夜中の環状線を走れども走れども永遠(とは)にこの街を出ず

が、特に好みだ。「環状線」は、北海道大学付近に実在し、札幌市内の中心部の主要地域をぐるりと取り囲んでいる道路だ。(ちなみに歌集タイトルも、学生時代に田村がかつて住んでいた住所によるものだ)真夜中の環状線を走ったとしても「環状」なのだから、結局はもとの場所に戻ってきてしまう。閉塞感を抱えつつも、自分の生活圏内をぐるぐると回ることしかできない。そんな、どうしようもできない、処理のしがたい感情を感じる歌である。

生活詠は、特筆すべき歌が多く、
サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひおり赤い月見て
俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す
「日々嫌(いや)」とアナウンス聞こゆ職場の一つ手前の日比谷駅にて

などが、個人的に好みの歌だ。
田村は、官庁での勤務経験があるらしく、歌の中で、その激務ぶりがたびたび登場する。
一首目は、相当仕事ができるサラリーマンでなければ、みな思うことではないだろうか。自分には向いていないと思う仕事をこなしつつ、満員電車に揺られ、帰宅時には赤い月が浮かんだ、とっぷりとした夜。そんな月を帰路に眺めてしまうサラリーマンはみな、「サラリーマン向きではない」と思っているのだろう。「みーんな」という口語の感覚が効いている一首だ。
二首目、仕事をしていくうちに、だんたんとイライラすることはままあることだ(へっぽこ事務員のわたしでさえもある)。そんなとき、アイデンティティである「詩人」という要素を前面に出してやろうか、と思ってしまうこともある。しかし、それは胸の内で「夢想」し、実行には移さない。社会に生きるものとして、ギリギリの天秤の上で何とか抗っているということを強く感じさせられる歌だ。
三首目。日比谷ということは、地下鉄に乗っているのだろうか。わたし個人としては、朝のラッシュというものが一番苦手である。電車自体は好きなのだが、それが満員だということが耐え難い。にぎやかな学生の群れ、サラリーマンたち、その他もろもろの人たち、その中に身一つで飛び込んで、会社までの道のりをサヴァイヴしなければならない。気が遠くなる。そんな中では、幻聴のひとつも聞こえてしまいそうだ。それが「日々嫌」。職場のひとつ前、これからまた一日を耐えしのぐ前に、ずしーんと響いてきそうで、とても「嫌」な歌だ。

そして、つかの間に挟まれている飲食の歌。
くれなゐのキリンラガーよわが内の驟雨を希釈していつてくれ
かなしみはホットココアを啜るとき釣糸のやうに喉(のみど)を下る
もづく酢の酢に咽せてをりこれ以上われから何が搾り出せるか

田村は酒場を愛する歌人である。それゆえに、酒場での歌の比率が多い。
一首目。「わが内の驟雨」ということは、突発的な強い悲しみがあったのであろう。それを希釈できるものが「キリンラガー」というのが、その人柄が出ているようだ。とことんキリンラガーを浴びるように呑み、驟雨なのかキリンラガーなのか、分からなくさせていく様というのは、想像に難くない。
二首目、喩がなかなかテクニカルな歌だ。「かなしみ」の飲み込み方というものが、「ホットココアを啜る時」に「釣糸のやうに喉を下る」という、相当に繊細なもののかけ合わせから成り立っているというところが、ほかに例を見ない感覚があってユニークだ。
三首目、ハードな社会生活の中で、癒しを求めて呑みに行く。その際に出たお通し(だろうか)のもずく酢の、酢のきつさにむせ返る。その感覚を、ヘロヘロになっているであろう自身から「これ以上われから何が搾り出せるか」と転化させるのが鮮やかだ。下句の破調の感覚も、むせ返った時のどうしようもなさのようでとてもよい。

そのほかにも、淡い色調を感じさえられる婚姻にまつわる歌や、故郷である群馬について詠んだ歌も収められており、先鋭的でありつつも、どこか滋味深さも感じさせるテイストのある歌集だと感じた。
現在は版元品切れとなっているが、田村本人の手によって、著者在庫分をAmazonやメルカリにて販売中(自分もそこから購入した)なので、この文章を読んで興味を持たれた方は、ぜひチェックしてほしい。


ここで宣伝です!

高城による、田村元さんの第二歌集『昼の月』の書評などが掲載された、北海学園大学短歌会会誌『華と硝烟』創刊号が販売中です!
通販・実店舗では、小樽・がたんごとんさんにて扱いがあります!

9/22(日)には、文学フリマ札幌(11:00-16:00@札幌コンベンションセンター)でも販売予定!
北海学園大学短歌会のブース番号は「お-31」です!20部限定なのでお早めに!
フリーペーパー&ネットプリント『高城紙面』も配布予定です!

高城はそのほかに、北海帽子部(お-45〜46)(ここ数年参加、以前制作した、平沢進文芸FANZine『馬骨文芸2566』を若干数持参します!ほかにもアイテム豊富!)窓辺歌会(お-25)(札幌で行われている「窓辺歌会」発の同人誌。こちらでも初出しの『高城紙面』特別版があります!)、過去作で文芸同人「北十」さん(お-26)(『砂時計』第三号にて、短歌作品評をやらせていただきました!)にも短歌や文章が出没という、おっそろしい大規模展開となっております!

文学フリマ札幌で、高城と握手!!!
よろしくお願いいたします!!!


次回はネットプリント『高城紙面』(短歌作品を掲載します、詳細後日)発行のため、一週お休みをいただき、10/5(金)更新予定。短歌評を掲載します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?