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自分の欲は否定しない でも 聖なるものも否定しない

2月2日、春節の日に、奈良の聖林寺十一面観音様の分身が我が家にお見えになりました

お仏像が好きで、20代の頃から奈良に足繁く通って、多くの仏様にお会いしてきました。その中でもわたしにとって特別な仏様が奈良の聖林寺の十一面観音様です。心の危機を幾度となく助けていただきました。勝手に自分の御自仏だと思っております。

その観音様のお堂が 、老朽化により立て替えが必要だということでご寄付をさせていただけました。わたしにとっては今世での、この上のない光栄なことの一つでございます。

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令和元年に得度した後も、本質的には何も変わっていない自分に気がついています。自分の欲は、私の中には消えることなく存在しますが、それをどうにかしようとか排除しようとか思わなくなったような気がします。

そして、自分の中には、聖なるものも存在しています。それは仏様とつながっている感があるものと言っていいかもしれません。

それは欲と同じように私の中ではとても重要なもので、日々存在感は増してきているような気がしています。

その聖なるものと、欲なるものは、本質的には同じものなんじゃないのかしら、とも感じています。以前、お不動様の功徳とは「煩悩というものを燃やして、悟りを得る」というようなお話しを伺ったことがあります。煩悩=欲は、悟りを得るためのエネルギーになっているということ。

自分の欲を否定せずに、欲を見つめ、充分にきれいに昇華させていこうと思う次第です。

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これから毎日、お大師さまとともに、観音様もお参りしながら。自分の人生のテーマである「慈悲」を整えていければと思っております。


年齢を重ねることで得られる人生の旨味を味わう。仏様に見守られながら、長く生きるのもいいなぁと思えるような日々を重ねていきたいです。




2021/2/8




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