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「過剰な世界」と「足るを知る」
蛇口をひねれば水が出る。今ではレバーを上げたら水が出る。この生活が当たり前過ぎて、無くなって初めてそのありがたみがわかる。
逆に、便利さを追求した結果、後に戻ることがかなり難しいということも実感した。その行き着く先が現在の気候変動につながっているのだとしたらそれはそれで仕方ないのかもしれない。
ただ、「足るを知る」じゃないけれど、必要最低限ってこともあるよね。現状は過剰な世界なような気がしてならない。もちろん、提供する方としては過剰品質じゃないといけない事情もあるだろう。
「足るを知る」とは、身分相応に満足することを知る、足りていることを知り、それ以上は求めないようにするという意味です。
「足るを知る」は、古代中国の思想家、老子の言葉です。老子の「足るを知る者は富む」という言葉は、「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しています。
そうなってくれば、ユーザー側が過剰な世界を逆方向に揺り戻しをかけなければいけないのではないか?プラスチック包装一つとっても過剰だって反応しなければ。まあ、レジ袋有料化以降徐々にそういう世界になりつつはある。
昨日、日経平均株価がバブル後最高値を更新した。理由はいろいろあるようだが、これで「失われた30年」が終わったとの声が。
例えばソフトウェアの世界。ここではまずリリースしてみて、ユーザーに使ってもらってバグフィックスする。つまりベータ版(=未完成)のまま世に出すことが日常だそう。
これまでの失われた30年(=過剰な世界)では完璧な製品を提供することが良しとされてきた。マイナーチェンジを前提とせず、世に出すことで終わり。ソフトウェア業界とは真逆の世界。
まず、完璧主義をやめてとりあえず出してみる。これは断水解消にも失われた30年にも共通して言えるのでは?と考える。
書いてみたが、ちょっと抽象的すぎるかな。このnoteもベータ版ってことで。
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