誰のために旅は語り得る?
kindle出版に向けて、元ネタとなっているかつての旅本を読み返す。
自己満足で書いたこの本を、他者満足に変えていく。
僕の体験は誰の何のためになり得るのだろう、そんなことを自問していく。
僕の旅は”旅”という響きとは裏腹に、ハラハラドキドキの冒険記ではなく、
何か一つ大きな学びを得たわけでもなく、
有名なスポットを巡ったわけでも、How toが詰まったお役立ち本でもない。
言ってしまえば、ただの大学生が、何者かになりたくてもがいた姿を描いたモノだ。
旅は終われど、何者かになれたわけでもない。
「おいおい、誰が読んで得するんだ」
少々ネガティブな感情も芽生えたりもした。
そもそも旅をしようと思った事の発端は、それまでお利口さんに生きてきて、親や先生、周りの人たちの期待通りに振舞ってしまう自分に疑問を持っていたからだ。
誰かの期待に応えるためではなく、自分の意思で行動したい。
そして、誰かの受け売りの言葉ではなく、体験で語れるようになりたかった。
もしかしたら、そういう衝動は多くの若者が抱くことなのかもしれない。
僕はイヤホンから流しているApple musicをフラワーカンパニーズの「深夜高速」に切り替えた。
青春ごっこを今も続けている旅の途中
ヘッドライトの光は手前しか照らさない
真っ暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る
目的はないんだ 帰る道も忘れたよ
壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに満足しているわけじゃない
誰もが往年のロックミュージシャンのように何かに怒っているわけではなく、大きな志を引っさげているわけではない。
それでも内に滾るエネルギーの行き場を求めたり、自分が特別な何かでありたいと願う瞬間はあるはずだ。
深夜高速では「生きていてよかった そんな夜を探している」と繰り返し叫んでいる。
僕の場合そんな激しいものではないが、この歌のようにもがく衝動が旅という行動になったのだと思う。
残念ながら、旅の末、僕はその経験を糧に何かコトを成したかというとそうではない。
未だに発展の途上だし、何か「人に教える」なんておこがましく思う。
そこに本を書くことに対し一縷の不安を感じていた。
けれどそうじゃない。
「僕の経験から得た学びを教える」のではなく、「勇気を出して一歩踏み出したその一例」を示すだけであって、願わくばそれが一歩踏み出すことに迷っている人の後押しになると幸せだ。
僕はやっぱり未熟だし、学びもまだまだ続く。
僕の本を読んで一緒にチャレンジできる仲間が増えればいいなと思う。
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