見出し画像

知ることで世界は優しくなる

”知らないから怖がる”のであれば、”知ること”は”恐怖を克服すること”に言い換えられるのかもしれません。


仕事を終えての帰り道。
家に向かい車を走っていると、空を見上げる人だかりがありました。
老若男女問わずいたので、ひとつの団体というわけではなさそう。
最初は「なんかの野次馬かな」なんて思いました。
目線の先を追うと、見慣れた月がいつもと違う様子。
そう、今日は皆既月食だったんですね。
全く知らなかったです。
それもスーパームーンで皆既月食なんていう組み合わせは24年ぶりらしいじゃないですか。

不自然な光は妖しさ満載で、不気味な気持ちにもなりました。

ふと思ったのですが、今でこそ月食は「太陽と月の間に地球が入りこむことで月に影が出来る現象」と理解できるのですが、そんなことなんて一切知らない昔は、不気味さのみを純度100%で感じ取っていたんだろうな、なんて想像しました。
そこで調べてみると、やはり昔の人は月食を不吉な現象として捉えていたようです。


古代インカではジャガーは神として崇められていて、そんなジャガーが月を襲ったことで月が血のように赤く染まっていくと考えられていたそうです(月食ってよく見ると赤く陰りますよね)。
月を襲ったジャガーは地上に降りてくると怖れられたそう。

インドにはヴィシュヌ神によって首を落とされたラーフという魔神が月を飲み込んで月蝕が起きるという伝説があり。

源頼朝も、月食を理由に御家人の家に泊まって、月食の光を避けたとか。

世界どの場所でも月食は怖れられていました。
月食の仕組みを知った現代人は、月食の恐怖を克服したのです。


”知らないことへの恐怖”といえば、人間関係にも言えると思うのです。
もっと言えば、分かり合えている人であれば許せることも、知らない他人だだと許せない場合もあったりします。

僕がアメリカを旅したとき、長距離バスに乗った時大きな体の黒人さんが隣になったことがありました。
僕の座席テリトリーにはみ出してくる黒人さんの足を跳ねのけて、無言の陣取り合戦をして争いました。
けれど休憩中に彼とお喋りをすることで、彼に対しての敵意がなくなっていきました。
争う前に、会話しよう、その人のことを知ろう、そう思ったのです。


知ることで恐怖を克服し、知ることで争いをなくし、ひいては知ることで世界は優しくなる。
月を眺めながらそんなことを思ったのでした。


あ、そうそう。
昔の人が月食をどうと捉えていたかを調べた時、「月が病気になるため月食が起こると考えていた」という部族もありました。
人々は月の病気が治り、元気になるようにと歌や祈りを捧げていたそうです。
こちらはなんとも優しいエピソードですね。


画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?