成功してる人は、明日必ず死ぬ。
ダルビッシュ有は、「自分が【やりたいことがあっても何もできない年齢】になって、そこから奇跡が起きて今の年齢に戻ってきた」という設定で日々を過ごしていたと聞いたことがある。
「後悔を先取りする」という思考術で、立派な技術だと思う。活躍している人ほど、常に全力を出し続けることの難しさを知っているのかもしれない。
まぁそれは話の枕なんだけど、同じような話で「明日死ぬかのように生きろ」みたいな標語がある。標語というか、そうできたら良いよね的なライフハックというかメンタリズムというか。
僕ももう四半世紀生きている。若いっちゃ若いけど、ひとかどの人物になってる方も、一財を築いている方もいる年齢だ。夜風に当たるように外を歩いていると、普段は意識もしない高層マンションの灯りが遠く目に映って、自分の持ってるものは何だろうとか考えたりもする。時々。
「明日死ぬように生きろ。」
「明日死んでも納得できるくらい全力で生きろ。」
「今日が最後の日だと思って生きろ。」
「今日が人生最後の日だとしたら何をする?」
まぁほんと、話はわかった、よく分かった。ただ一つ言わせて欲しい。
明日死なないじゃん。
これはつまり、「やるべきこととやりたいことの違い」という問題だ。
そりゃもちろん、この言葉は本来「1日では為し得ない高い目標に向かって努力する」のを後押しするために生まれたはずだ。だけど、本当に幸せなのってマジで一生何もせずに布団に篭ってることだったりもする。そうはいかないからみんな頑張ってのらりくらりと生きてるんだよなぁ。
非常にレベルの低い揚げ足取りになっちゃってるんだけど、本質的というか、実際的な問いかけではあると思う。
「明日死ぬように(頑張って)生きろ、とはいうものの、本当に明日死ぬならまた行動は変わってくるじゃん?」という。ちなみに僕は明日本当に死ぬとしたら、自暴自棄になっていくつかの社会規範を破るかもしれないし、犯罪にだって手を染めるかもしれない。だけどそれは、本来やりたいことではない。
もちろん、未来は絶対に確定しないから、「明日本当に死ぬとしたら」なんて前提も厳密にはありえない。こういうの何のパラドックスっていうんだっけ…。まぁとにかく、未来が「確実に曖昧」であることはこの場合大きな救いだ。
だから、「明日死ぬと確定した時に現れる欲望こそが『やりたいこと』だというのなら、一生それを続けられるようにマネタイズするなりシステムを作りなさいよ」というのが「明日死ぬように生きろ」の本旨なのかもしれない。
一生寝てたい奴は、寝ててもお金が入ってくるような体制を構築しろという(もちろん、法を犯すスリルそのものを目的としてるような狂人には気の毒な話だけど)。
ていうかここまで考えて思ったのは、「明日死ぬ」っていう前提、自己啓発するにはちょっといきなりすぎるな。やっぱダルビッシュの「未来から戻ってきた思考術」が一番的確な気がする。あれ超優秀なフレームだよ。
ともかく…誰でも第一線で活躍する人、成功してる人というのは、「マジで人生最後の日にやること」を、人生最後の日でもないのにやってる変態なのではないか。没頭して、没頭して、積み重ねている人なのではないか。
それはつまり、「明日死ぬという嘘」を、自分の中で本当にしてるということ。
嘘を誠に。
明日必ず死ぬと、自分に嘘を吐き続ける。
それを誠にし続ける。
奇しくも、そういう姿を日本では「必死」と呼ぶ。
結局、自分をダマしきった人間の勝ちなのかもしれない。成功者が「自分に吐き続けてきた嘘」というのはまだバレてなくて、そのまま墓場まで持ってくのだろう。
あまりにも自分にバレバレな嘘をついている人や、若いうちから自分を裏切り続けて、もう狼少年の謗りを免れない人。それってものすごい僕のことなんだけど、たぶん狼なんか一生来ないから、嘘をつくのをやめるか、狼が来たと言い続けるしかないのだ。
言い続けてるうちに、なんか気づけば自分が毛深くなってきて…牙も伸びてきて…
とかね。
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