「夏、彼女がどんべいをすすってる朝」のエモさ

ズゾゾッ

ズッズゾッゾゾゾズズッ

ズズー…ハフッズゾゾーッ

ズズ…ゾズズッ

(…)

(ああ…)

(『夏、同棲してる彼女が汗をかきながらどんべいをすすってる朝』って、もっとエモいと思ってたな…)

そんなことを考えた。

昨日僕に突然「発作」が起こり、冷蔵庫に5つも残ってた玉子を、あろうことか全部食ってしまったのがいけない。

ゆで卵に3つ、スクランブルエッグに2つを使用して全部食べた。世に稀に見る玉子尽くしで、察しの通り最高だった。

その代償として、彼女が朝食でよく食べる釜玉うどんに乗せる玉子がなくなった。彼女はうどんをレンジで温めてる最中に冷蔵庫を開けて「あ」と呟き、レンチンを止めてカップ麺の準備に切り替えた。

レンジの中では今、微妙に熱を通された冷凍うどんが大汗をかいていることだろう。体の芯は冷えきっているのに汗が止まらない、今の僕と同じコンディションだ。

うわ。

超怖い。絶対怒ってる。

繰り返すけど、「夏、同棲してる彼女が汗をかきながらどんべいをすすってる朝」ってもっとエモいと思ってた。

お出汁の臭いが立ち込めるワンルーム、カーテン越しに入る光が、1メートル先で箸を動かす彼女の首筋に玉のような汗を輝かせる。僕は布団から這い出し、僕が寝てることに配慮して暗いままだった部屋の明かりをオンにする。振り返る彼女。ちゅるりと口元に吸い込まれるうどん。僕はゆっくりと彼女の隣に座り「美味しい?」と尋ねる…

彼女は答える。

「あんたがバカみたいに玉子を食い尽くさなければね」

そしてどんべいの残り汁を顔面に全部ぶっかけられる。いけない、妄想さえも現実の厳しさに蝕まれてしまった。ご清聴ありがとうございました。

意を決して、体を起こす。どんべい自体は妄想じゃなくとても良い匂いで、お出汁と旨味成分がケミカルに調和したチープな香りが部屋に充満していた。

時計を確認すると、11時30分。

…。

朝ですらねぇしな。

 

彼女の背中を見る。

ズゾッ、ズズー

ゾッゾゾ…ゾズズズゾゾッズズズ…

「ごめん、玉子…たべちゃって」

起床を知らせる全ての合図の前に、まず謝罪した。情けないながら、これが良好な関係を保つ最善の方法である。

「え、いいよ全然」

彼女の反応は、どんべいよりあっさりしてた。

別にどんべいあっさりしてないか。

聞けば、というか聞いてるうちに思い出したのだが、玉子を食べてしまった件は昨日の内に説明していたらしく、彼女は特に怒っていなかった。

焦りが産み出した幻影と、寝起きの洞察力の鈍さが必要以上に人間を憂鬱にさせることがある。

特に教訓めいたものを残すつもりで書き始めた出来事ではないのだけど、今回の件から学んだことを強いて2点ほど申し添えるなら、まず1点は、寝起きは何でも悪い方向に考えがちなので、出勤や登校が辛い人はちょっと早起きしてみると気分をスッキリさせて取り組むことができるかもしれない、ということか。

もう1点は、今気付いたことなのだけど。

多分「どんべい」じゃなくて「どんべえ」だということだ。

恥ずかしっ。

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