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44.朽ち果てたアパートに吟遊猫のブチ。

高山に奢ってもらい店を出ると、なぜかかつて暮らしていたT町の2.9万円のアパートを見に行こうという話になった。

T駅を降り、99円ショップの自販で缶コーヒーを買うと、幽霊の噂が消えて小綺麗にリフォームされた、代替わりした病院の横を「幽霊の噂が消えるような町はダメだよな」などと駄弁りながら通過する。

みなとみらいアピールが強い宣伝用の看板が目立つ建築中マンションを抜けて、橋の手前で曲がり川沿いを歩くと、かつての俺の住まいが見えてきた。

高山が街灯に微かに浮かぶボロボロのアパートを指差す。

「懐かしいな~」
「だな~」
「あれ、隣ってコインパーキングだったっけ?」
「ここ家事で消失したんだよ」
「あっそうなんだ」

俺が住んでいた部屋は空き部屋になっていた。というより扉に青いビニールが貼られている。よく見ると隣の部屋も空き部屋で、一番奥の洗濯機置き場に冷蔵庫を置くおっちゃんの部屋も空き部屋になっていた。高山がスマホの灯りを頼りに扉の郵便入れを開き、中を覗いている。

「何か見える?」
「う~ん。畳が剥がされて積まれてる感じがある。多分、解体後にマンション業者に引き渡すんじゃないの?」
「あ~、そうかもね」

裏の大家さん宅も玄関にガムテープがバッテンに貼られていた。

「あら、大家さん亡くなったのかもな……」
「そうなんだ。結構年齢行ってた?」
「あ~、具体的な年齢は知らないけど、横浜大空襲の時に小さな弟を背負って逃げたって記憶がある人だったからな……」
「そっか……、まあ、でもだとすると大往生かもな」
「ええと、そうか、そうだな」

大家さんが住んでいる時から朽ちかけ感のある修理跡だらけの古い木造家屋だったが、今は完全に朽ち果ててしまった。玄関前の埃だらけの収納ボックス、黒ずんだ鉢植え、伝説上の動物の姿が薄れ消えかかっている黄色のビール瓶のケース。

ひび割れた窓ガラスに勝手口の前には工具やら仏具やら食器やら何やらが雑然と置かれている。大家さんが穏やかな顔して座っていた縁側の屋根にはブルーシートが……。

「何だか寂しいな」
「あ~」
「戻ろうか」
「だね。ニュー淳平宅で飲み直そうぜ」
「あ~、そうしよう」

振り返ると暗闇に光る2つの目。近づくと、情報屋のブチだった。

「お~ブチ」
「ニャー」
「何何、ここのアパートは無くなるのかって? ん~、そうみたいだな。お前等の仕事場も減るな~。ここもマンションが建つのかもな。ここら辺もどんどん新しいマンションになっちまうよな」
「ニャー」
「なあブチ、お前もそろそろ愛玩路線に行ったらどうだ? うんうん。いやいや。あのなブチ、お前は吟遊猫を続けたいかもしれないが、お前も歳を取るしな、世の中ってのも変わっちまうんだよ。なあブチ横浜の港見ろよ。少し前まではさ、港のボラードに足掛けて格好つけてた海の男だって今は消えちまっただろ」
「ニャー」
「そうなんだよ。今や観光地になっちまっただろ。でもな観光地に振ったお陰で、この港町も生き残ってるんだよ。分かるか? ブチ、お前等だって同じだ。どれだけ放浪猫・吟遊猫気取ってもな、役所がそれを許さねえだろ?」
「ミャー」
「ハハハ。確かにな。闘うのってもあるか……」
「ニャー」
「あっそうそう、虎はどうした? 俺あいつによ、お前は保護狙いで川の向こうに行けって言ったんだよ。ほーほー、そうか、マジで。そっか、そっか、良かった」

高山は「へー」とか「良かったな」とか相槌を入れてる。

「うんうん。そうだな。少しずつでいいからさ、お前もな……」
「ニャー」

ブチは俺の膝辺りに体を擦り付けると、そのままアパートの奥の方へと歩いていった。

「物わかりのいい奴だな」
「だろ」
「時代は残酷なくらいに変わってゆくからな。新しい生き方を見つけるしかないよな」
「ホントだよ。でもさ、ブチは賢いからな、上手くやると思うけどさ、今の世の中に適応するってのはさ、本能を弱らせなければいけないからな」

高山が「淳平もそうだったな」と言って笑った。

「俺?」
「おー酒乱本能」
「アハハハ。だな」


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