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50.通いたい場所と軒下のトラ。

MN駅から5駅、T駅徒歩3分のマンションに引っ越した。

正直、T駅周辺の街並みは好きじゃ無い。大通りが複数交差するような場所で、とにかく雑然としている。引っ越し先の1Kの部屋もMN駅の頃に比べると狭いのに2万円も高い。一応、駅近くにコンビニが4軒に、ドラッグストアが3軒あるけど、俺が買いたい食材等が揃うスーパーとなると隣駅方面に15分程歩かないと無い。

駅徒歩3分の立地でも、俺にとって必要な買物や生活スポットが駅前に揃ってないから、駅チカの利便性は無しに等しい。通勤という意味でも、営業代行で関口先生の事務所に行く日以外は自宅で仕事をしているから、駅チカによる家賃上昇分のメリットはゼロに近い。

ただ、近くに通いたい場所があるから、ここを選んだのだ。

午後、仕事を終えると、軽く部屋を掃除し着替えを済ませ、大きな荷物を持ち家を出た。自宅マンションから出ると、片道3車線の大通り沿いに駅とは反対方向へ歩き出す。

露店風の飲食店。
こだわりが無さそうなシンプルな外観のラーメン屋。
古くからあるに違いない蕎麦屋。
雑貨屋なのか、何屋なのか分からない謎の店。
老夫婦が営む床屋。
入口だけリフォームされ綺麗になった中は激古な雑居ビル。

その雑居ビルの1階の店舗の軒下の台の上に見覚えのある猫。

「あれ?お前虎か?」
「ニャー」

早速、台から飛び降り、鈴をつけた首を捻りながら、俺のすねに体を擦りつけてきた。台の下には餌の入れ物。

前足のピン具合からして、こりゃ間違い無く虎だ。しゃがんで話し掛けようとすると、店の中からお姉さんが出てきた。

「こんにちは」
「ちわっす。え~、保護猫ですか」
「はい、そうなんです。レオンちゃんって言って、保護猫なんですよ~。よく分かりましたね?」

猫を保護しそうな優しい顔をした姉さんだけど……、レオンちゃん!? お姉さんが居る手前、虎は会話を控えているみたいだったが、お姉さんが電話で奥へ行くと、虎が「ニャー」と事情を話し始めた。

「そっか。俺とかブチの言う通りにしたんだな。どうだ正解だろ。あ~ホント、な、良かったろ。ハハハ、今は店番猫か! まあ色んな人に可愛がってもらえよな。それにしても、お前、今レオンって言うのか」
「ミャー」
「ハハハ。まあいいじゃねえか。レオンっていい名前だぞ。どういう漢字だ? えっ、王偏に命令の令に音? 「玲音」か……。良い字だな。うん? 何何、お~、OK!OK!。俺もスグ近く住んでるからさ、会いに来るよ」
「ニャー」
「じゃあな」

隣の壁修復中の雑居ビルの階段を昇る。扉を開け中に入ると、そのまま受付に行き、会員証を提示した。

「あ~、田島さん、こんにちは、ええと、今日はナンバー5の部屋でお願いします」

鍵を借りて指定の部屋へ移動する。少し重めの扉を開き部屋に入ると、大きな荷物を下ろし、電気をつけた。大きな荷物とはギターケースの事だ。

ここは時間貸しの楽器練習スペース。学生時代、イギリスのバンドの演奏を見て「やりたい!」とお願いしたにも関わらず断固拒否され触れる事すら出来なかったギターをアラフォーになって習い始めた。いつかバンドを組んで演奏くらい出来たらいいなと思っている。

先日の電話以来、母とも時々電話で話すようになった。

俺は素直で大人な人間じゃない。でも何となくだが、こうやって許す理由を拵えているのかもしれない。「やりたい!」って言っても断固拒否されたあれこれ、どうせ無理だからと主張すらしなかったあれこれ、これから1つ1つ挑戦してみようと思う。

しかし、ギターを弾いてみて思う。

俺、音楽の才能は無えな。

<終わり>

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