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48.最低限のつながりは回復した。

妹は現在、旦那さんと息子の3人で小金井に住んでいる。昔は数ヶ月に1度程度の電話だったが、先月から毎週のように電話がある。旦那さんとの関係が上手く行ってないみたいで、誰かに吐きたいのだ。

今日も、「ねえねえ内の旦那がね、この前ね、ゲームで3万円も課金したの――」を皮切りに、棚の扉をバタンと閉めるのが煩い。ドタドタ歩いて煩い。脱いだら脱ぎっぱなし。片付けたら片付けたで変な片付け方をする。などなど。

一通り旦那さんの悪口を聞くと、俺の甥っ子でもある雄馬君が来年小学生になるので「色々お金が掛かって大変なの」という話を聞かされ、再び、「お金が掛かって大変な時期なのに」というトークチェンジで旦那さんの浪費癖に対する不満を10分くらい聞かされると、急に「そうそう、お兄ちゃんお父さんから連絡あったの」と言ってきた。

「何の連絡だったの」
「うん、なんかね、そろそろ母さんと仲直りするよう言ってくれないかって」
「えっ何で?」
「あのね――」
どうやら最近、母がすっかり弱気になってしまったそうだ。

「更年期?」
「うんうん違うの。私が離れたのが原因みたいよ」
「あ~、何か言ってたね」

実は妹も、息子の雄馬君が生まれて以後、母との関係が急速に悪化した。母が子育てに異常なくらい口出ししたのが原因だ。

父は最初、妹に「母さんと仲直りしないか」とお願いしたそうだが妹が断固拒否。何度か断っているうちに、「淳平に仲直りする気が無いか聞いてくれ」という話になったらしい。

「上手くやってたんだから電話くらいしたら」と言うと、「キャパ超えよ。あの湿っぽい短調の声を聞くだけでカーっと来るようになっちゃったの。もう我慢の限界だから無理」って、各種各様の負の感情が絡んだような粘っこい声で返ってきた。

ちょっと納得。俺もそうだった。

「分かった、ちょっと考えてみる。あっでも考えてみてやっぱり無理だったら仲直りなんてしないからね」
「うん。その時は仕方無いよ。母さんが悪いんだもん」

再び、旦那さんの浪費癖と、家でのぐうたらに対する悪口を聞かされると、スッキリしたのかご機嫌な鼻歌交じりに電話を切った。

土鍋を五徳の上に置き着火する。すぐに弱火にしてタイマーを掛けると洗濯物を取り込む。洗濯物を畳みながら、何となく昔を振り返った。

母と断絶してからもう15年。父とは1~2年に1回くらいだが電話で話してはいるものの、今思い浮かぶのは当時40代後半の頃の父の姿のままだ。父も、もう60代前半。そう言えば、5~6年前に実家を立て直したという話を3~4年前に妹から聞いた。だから、俺の記憶の中の実家は、もう存在しない。

洗濯物を畳み終えると、土鍋の火を消し、タイマーをオフにする。時刻は18時過ぎ。自宅に掛けるかどうか迷った末、父の携帯に電話した。実は、父との連絡も、もう1年半ぶりだ。親戚が亡くなった時に連絡があって以来になる。

数回のコールの後で父が出た。
「おー、淳平か」

「うん。父さん、今電話大丈夫」
「あ~今帰るところだ。一旦電車降りるから、ちょっと待ってな」

電車のアナウンスが聞こえてきた。そのアナウンスの駅名も、俺の記憶の中の父の勤務先とは関係が無かった。そうか、もう60代前半。まだ定年では無いが、子会社に再雇用になって勤務先が変わったのかもしれない。

「すまん、すまん。敦子から聞いたか?」
敦子とは妹の名前。
「あ~、聞いたよ」
「何かすまんな。俺もお前の気持ちは分かるんだけどな、母さんも反省してるから、そろそろ仲直りしてくれないか――」

その後、「う~ん」と返事に困る俺に、父は何度も何度も母の反省ぶりを添え直しては「お願いだから仲直りしてもらえないか」と言ってきた。

電話なので父の姿が見えるワケでは無いが、深々と頭を下げているような気がした。それも、父の声の後ろで、「体育の坂本の視線がキモいんだよ」「あいつマジ、無理なんだけど」という女子高生らしき若い声が聞こえてくる中での懇願。

父は、元々物腰柔らかで何かあれば自分から頭を下げるタイプの人間ではあったが、親不孝な俺に対しても、周囲など気にせず深々と頭を下げている……。ええと、正確にはホントに下げてるかどうかは分からないけど、そんな口調。

流石に受け入れる事にした。

「分かった父さん。今度電話するよ」
「ホントか!」

父は「淳平ありがとう」を繰り返していた。

週末、父の携帯に電話した。流石に実家に連絡する事は出来なかった。もし、いきなり母が出た場合、どう対応すれば良いか分からないからだ。

プルルル・プルルル・「はい」。
「あっ、父さん、俺」
「お、淳平か、え~とね、あ~、今母さんに替わるな」
「分かった」

父の「母さん」という声が耳元から遠ざかるとスグ、
「淳平だね」
「あ~、うん、久しぶり」
「久しぶりね。元気にしてた。ご飯はちゃんと食べてるの」

実に15年ぶりに母の声を聞いたが、随分と弱々しい声だった。その弱々しい声での「淳平ごめんね」「私が間違ってたのかもね」「電話してくれてありがとう」……。

多分、父から、謝るように言われたのだとは思うが、だとしても母が自分の否を認めるのは、俺からしたら奇跡の出来事。恐らく3分くらいの会話だったと思う。再び父に代わると、父の声が弾んでいた。

「今、どこに住んでるんだ?」
「横浜だよ」
「何だ、そんな近くに居るんだったら年に1度で構わないから顔出さないか」
「うん。分かった。ただ俺1人は嫌だからさ、妹と母親が仲直りしてからにするよ」
「そうかそうか分かった分かった。ありがとうな」

電話を切り妹に連絡すると、「お兄ちゃんも行くならば」と、年末、実家に一緒に行くことになった。

最低限のつながりだけは回復した。

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