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46.裏通りから川沿いへ移転。

俺が合同会社リブ-トを立ち上げる頃、ハイエナコさんも次のステップへ進んでいた。それまでN町の裏通りにあったお店を、川沿いの広めの店舗に移転する事になったのだ。カウンターメインの居酒屋業態から、中でショーが見られるバーとパブを合わせたような業態にバージョンアップする事になった。

ハイエナコさんから、「開店祝いには絶対来るのよ!絶対だからね!」とやや姉抜きしたバリトンボイスで言われたが、もちろん参加するよ。何でも当日はハイエナコさん一押しのパフォーマーさんのショーが見られるそうで、「こんな贅沢なショー、お金払っても中々見られないからね。絶対来るのよ!」と念押しされた。

しかし、救いの……、何だろう、今の空気というか世間の畏まった言い方だと、ええと何ていう呼び方になるのかな? まあ、いいや、俺からすると派手な姉さん達って感じだから、救いの「女神」と呼ぼう。

ホント俺にとっては救いの女神だった。あの時、強引にでも高山に電話してなかったら、今頃どうなっていただろうか…。多分、もう戻れない所まで堕ちていたんじゃないかな。

開店祝い当日。

N町と隣町との境目になっている川沿いにあるハイエナコさんの新しいお店に訪れた。昔は夕方以降、女性だけでなく男性すら1人で歩くのは怖いというか厄介というか面倒な場所だったが、今はすっかり……と迄は言えないけど、昔に比べるとかなり歩きやすい町になった。

川沿いの道を曲がると、物凄い量の派手なお花と、風船と装飾を組み合わせたアート?造花?が目に飛び込んでいた。その端の方に俺と高山共同で発注した胡蝶蘭が目立たず佇んでいる。

入口で作業をしていたスタッフさんに話を聞くと、ハイエナコさんの友人のアーティストさんが制作したアート?造花?だそうで、今回は特別に開店祝いのお花の発注も引き受けてくれたのだそうだ。

確かに合ってる。メッチャいいね。俺もこっち頼みたかったな。

入口の派手さとは違い、中はシックな感じだった。元々、生演奏が行われるジャズバーだったみたいで、内装は古い木材の床張りに、漆喰と煉瓦と渋い色味の木材の壁に、レトロな照明の効果もあって、何だか落ち着いた空間になっている。

だが、場所によっては、チロルチョコサイズの色取り取りのタイルが敷き詰められている場所があったりするので、恐らくだが、これからハイエナコさんカラーに染めていくのだと思う。

店内は以前に比べれば大分広いものの、ショーをやるには狭い。ショーの舞台は、奥の壁際に横幅にして2.5メートル・縦幅にして2メートルくらいだろうか。バンドの演奏であれば、何とか行けるスペースかもしれないが、ショーとなるとどうなんだろう?

店内は、ショー舞台の手前、柱を挟んで右にカウンター席と厨房。左に4人掛けのテーブルが壁に引っ付く形で5つ。キャパは30人といったところだろう。そんな店内に、恐らくだけど50名以上のバラエティーに富んだ人々がひしめき合ってる。いや、厨房側にも10名くらい居るので、60名以上だ。

厨房で動き回っているハイエナコさんに挨拶をし、カウンター席で施工会社の部長さんと裏界隈トークで盛り上がっていたら、顔までタトゥーの坊主にアフリカの民族衣装っぽい人の音頭で乾杯し、開店祝いが始まった。

酒酒酒の盛り上がりだった。

俺はカウンター上にビュッフェスタイルで並ぶお皿や寿司桶に手を伸ばしていた。開始直後から店内は低い声と擦れた声と高い声が混じり合った賑やかなお祝いパーティーで、途中から隣の施工会社の部長さんとの会話すら聞き取れなくなるくらいだった。

後半、酸素が薄くなり息苦しくなったせいだろうか、店の外にまで人が溢れだし、ハイエナコさん一押しのショーは、ショーをやる予定だった姉さんが泥酔したので中止になり、代わりに、昆虫の題名の曲で有名な歌手っぽい風貌のシンガーさんが、青森県特産の果物の名前の歌手みたいな歌い方で場を盛り上げていた。

俺は途中、2メートルくらい身長のあるキリマントさんというダンサーさんの背高いあるあるで大笑いしていた。

会も終盤、遅れて高山がやってくるが、もう、その頃には、泥酔に痴態に激情に、店内はトランス状態で、高山はただただ苦笑いを繰り返しているだけだった。

開店祝いが終わりに近づく頃、激情中のハイエナコさんに泣きながら「立ち直って良かったね」と何度も何度も言われ、トランス状態のせいもあると思うが、感動して俺が泣き出すと、静水に垂らした1滴みたいに、周囲に波紋のように「泣き」が広がっていき、気付くと、俺とハイエナコさんを囲うようにして皆号泣していた。

こうして開店祝いは最後の最後までトランス状態のまま終了した。


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