見出し画像

06:就職氷河期とロスジェネ

ここで俺、田島淳平の過去について少し回想しておこう。

何で、こんな体たらくになっちまったかって言えば、過去の失敗が影響しているからだ。俺は元からダメだった訳では無い。現実に負け続けている内に、どんどんダメになった人間なのだ。あとは親との関係も影響している。が、それは追々。

そして、何よりも社会人の入口で躓いてしまい、立ち上がれぬまま30代を過ぎてしまった為に、潰しが利かないというか、通常のルートでは再起が難しくなってしまったのも大きい。

敢えて言うが、就職氷河期やブラック労働のせいでもある。実態を知らない奴は、自己責任だの、社会のせいにするな努力して勝ち上がれだのほざきやがるが、そもそも競争社会と呼ぶ以上、常に一定数の敗者が居るわけだ。

当時は1度敗者になったら、通常ルートで這い上がる事さえ難しかった。そして、何よりも、世界金融恐慌後に非正規問題がクローズアップされるまで殆ど無視されていたわけで、俺等の世代など、やっと社会問題として浮上した頃には、もう30代。

これを俺等だけのせいにするなと言いたい。

何しろ社会人の入口からそうだったんだ。右も左も分からない頃から見捨てられた上で、自己責任だ!自分の努力で這い上がれ!と言われても困る。そもそも俺はそんなに優秀な人間じゃない。

とまあ、文句はこの辺にして……。

今触れたように、俺は就職氷河期に就活で失敗した。いや就活は体育会サッカー部の看板もあって合格した。合格後の懇親会で酒に酔った上で、やらかして内定取り消しになったのだ。

就職浪人後は約100社連続で失敗。逆に言えば100社連続で否定され続けられるくらいの根性はあった。でも結局、新卒のルートからの就職は諦め新聞の折り込み広告の求人から応募した。

応募した会社は当時流行のフリーペーパーの営業代理店で、営業職で応募した所、1度の面接で無事採用される事となった。

しかし、この就職先を巡り、母親と大喧嘩になる。何しろ小さい頃から母親自身の欲望を、俺の為などと抜かしながら、俺の意志など一切無視してスパルタに押しつけられてきた。幼少の頃からずっと母の木偶のようにして扱われてきたのだ。

この時もそうだった。散々俺をなじった上で「こんな所に就職するくらいなら大学院に行きなさい」と言い出した。俺も一応は酒乱でやらかして内定取り消しになった手前もあるので、1時間以上に及ぶ身勝手でヒステリックな嵐の時間をじっと堪えていた。

だが、この嵐は、1日では止まず、2日、3日、4日と続いた。俺がじっと我慢しようが、父が宥めようが、嵐は収まるどころか、どんどん激しくなり、矛先は俺だけでなく父や恩師や俺のサッカー仲間にまで……。

ついには、俺の知らない所で、大学サッカー部の顧問に電話をしてヒステリックな嵐を浴びせたのだ。

これで俺も我慢の限界を迎えてしまった。家の壁、タンス、ソファー、扉を破壊するだけ破壊し、「テメーとは縁切りだ! くたばれこのボケ!」と捨て台詞を吐き家を出る。

こうして、母親と縁を切る事になった。

<続く>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?