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バンコクの恋愛成就の神様はビジネスの神

 ボクが20年くらい前までは、たとえば神社で願いごとをした際にはそれを他言すると叶わないとされたものだ。しかし、今は真逆になっている。神頼みするときには黙って祈るのではなく、しっかりと声に出して住所、氏名、年齢から始まり、なにを望むかを具体的に神に届けなければならない。

 とはいえ、現実的には周囲に人がいるのにそれを口にするのは結構恥ずかしく、難しい。そもそも、人気スポットに押し寄せるたくさんの人が同時に願いごとを口にすれば、今度は神の方がすべてを聞くことができないともされる。神は神でも、聖徳太子以上に人間っぽさがあるのが今風なのだ。

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 昨年閉店したバンコクの伊勢丹があった場所の正面にふたつの仏像が祀られる。ひとつは象の頭を持った神であるガネーシャの像だ。そしてもう一方の仏像は「トリムルティ」である。タイ語だとプラ・トリームーラティと読むようだ。

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 トリムルティはヒンドゥー教における三大神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが同じレベルの神というコンセプトである三神一体を指す。これを偶像化したものがここの像なのだ。

 敬虔な仏教徒の多いタイにおいて、ときにヒンドゥーの神もまた信仰の対象になる。日本の神社仏閣でもインドの神が姿を変えて信仰されているが、タイではヒンドゥー教のときの姿のまま祀られている。

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 そして、そんなトリムルティはバンコクの若い女性の間で恋愛の神様として人気がある

 ここのトリムルティはもともとは商売繁盛を叶えてくれる神として存在していたが、いつの間にか恋愛成就の神として有名になった。どういう経緯でそうなったのかは不明だ。商売繁盛を祈る中で玉の輿を狙った祈りが通じたという噂が立ったのかもしれない。

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 トリムルティへの参拝方法は周辺の売り子からバラを買い、像に捧げる。一応、祝詞は決まっているようで、近くの看板に掲げられているが(上の画像)、いつ行ってもいいわけでもない。

 というのは、トリムルティに神が降りるのは毎週木曜日の夜九時半のことだからだ。そのときが効果が高いと言われる。が、参拝者も多いので願いが聞き入れられるのかどうか。

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 このときにどんな恋人がほしいか、具体的に言うべきだとされる。芸能人でたとえてもいいので具体的に容姿がどんなもの、年収はいくら、という風に婚活パーティーさながらの希望プロフィールを挙げると、トリムルティも「じゃあ、彼を紹介してみようかな」となる。

 これはホント、今の風潮だ。日本でも参拝の際には賽銭を入れて祈るときに声に出して言わないといけないと言われるようになった。それから、心霊関係でも、昔こそ霊は足がないとか言われたのに、今ははっきりくっきり姿が見えるという。なんなら、都会だと普通に街を歩いていて、普通の人には人間と霊の見分けがつかないとか言われる。

 さらに言えば、かつての霊あるいは怪談というのはこちらに霊感があろうがなかろうが、気がつかないうちに憑りつかれているということがよくあったでしょう。ところが今は、こちらが霊を認識していても気がつかないふりをすれば、相手の霊の方がこちらが見えていることがわからず、なにもしてこないということが主流になっている。マナー講師と同じで、言っていることが時代でずいぶんと変わるもので。

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 このトリムルティには強いパワーがあると信じられている。その噂が特に囁かれるようになったのは2010年以降のことだ。反政府活動が激化し、最後は暴徒と化したデモ隊の一部がバンコク各地に火を点けてまわった。座り込みの中心地だった、伊勢丹が入居していた「セントラル・ワールド」は真っ先に放火され、半壊したほどだ。しかし、伊勢丹は無傷だったことが噂の再燃に繋がったと見られる。

 セントラル・ワールドの敷地は王室の土地で、借地権が設定されているとかいないとか。かつてはラマ5世の息子で、ペッチャブーン(タイ北部)の王の邸宅だった。

 第2次世界大戦時、タイは日本と同盟関係にあり、連合国側がバンコクを攻撃したことが何度かあり、この地を狙って爆撃もしたという。しかし、トリムルティの力がその爆弾をかわしたという逸話がある。あるいは敷地に爆弾が落ちても不発になったなど、この地を守った逸話がある。だから、建物が半壊したのに、伊勢丹の部分にまで火の手が回らなかったと言われるようになった。

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 可能性として、このトリムルティが火の手を避けたことは否定できない。元々王室が祀っていた像なので、霊験あらたかな像であるはずだからだ。

 ただ、先の爆弾の逸話はあくまでも噂でしかない。というのは、このトリムルティの像は1990年にこの商業施設が「ワールドトレードセンター」という名称で開業するときに移設されたからだ。それまで近くの王室の土地にこの像はあった。そのときにその土地に爆弾が落とされたのかどうかという確たる情報はない。いずれにしたって、戦時中にはここにこの像はなかった。

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 でも、本当に不思議なくらい、伊勢丹の部分だけが燃えなかったのは事実で。当時を知る人は憶えていると思うが、あの巨大な建物が一部崩壊していた。それくらいひどい火災だったのに、伊勢丹はきれいに残っていた。

 今となってはあのとき燃えて、火災保険で中を改修すれば潰れるくらいの陰気な雰囲気を払拭できたのではないかなとは思う。いや、そんなことないか。驕ってた部分もあったかもしれないな。和食専門のフードコートなんか作ったけれども、アホみたいに高くて客、入っていなかったし。

 とにかく、それ以降もトリムルティに参拝する人はあとを絶たない。近隣にはエラワンの祠もあるし、この辺りはちょっとしたパワースポットにもなっている。この辺りの神々は力が強く、願いを叶えてくれる可能性は高い。観光客も参拝する人がいるようだが、力が強い分、ちゃんとお礼参りをしないと跳ね返りも大きいのでご注意を。

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