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東南アジアのローカルバス乗車に旅が詰まっている

 旅は「新しい発見」と「思い出のトレース」という相反する楽しみを体験するイベントだと思う。観たことのない、聞いたこともない場所に行って、その体験を自分のものにすることが前者で、後者はかつて行ったことのある場所でかつて体験した感動や喜びを改めて感じることだ。対極にあるように見えるこの2つの旅の楽しみは、しかし同時進行で体験することもある。新しい場所でほかで体験した思い出に似たものを見出すこともあるし、一度行った場所で改めて発見することだってあるだろう。

 ボクの中ではその相反する楽しみを同時に体験できるのがローカルのバスだ。主に大都市を網羅する路線バスである。料金は安いし、危険な目に遭うこともそうないので、案外楽しめるのだ。

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 ボクの初めての海外旅行はタイだった。最初の滞在はおよそ2ヶ月強で、何度かバンコクの赤バスを使った。当時はネットが一般的ではなかったので、バスマップをカオサン通りで購入して、駆使した。安いものは道のサイズが違ったり、適当なものだったので、使うこと自体が難しかった。

 日本人向けにはカオサンにジミー金村という人が作った手書きのバスマップも存在した。そちらはわかりやすかったようだが、当時のカオサンはいい加減で、在庫がまずなくて、ジミーさんのマップは簡単に手に入るものではなかった。

 バスのなにが魅力かというと、言葉がわからないので、どこに行くか、目的地に着くのかどうかが到着するまでわからないことだ。ときどき思ったところと違うコースを進んだり、あるいは違うところで曲がると、ドキドキする。ちゃんと目的地に着いたときの安堵というか達成感が溜まらないのだ。

 稀に目的地と全然違うところに行くこともある。こういうときはどのタイミングで降りることを決断して引き返すか。そういったスリルも溜まらない。

 ローカルバスは安いというのもいい。せいぜい数十円だ。だから、万が一間違っても懐は痛まない。ただ、時間がかかる。この点も贅沢でいい。旅行というと休みを会社からもらう、学校の限りある休みの期間で来るという日本人がほとんどだろう。ローカルバスはそういう人には向かない。外国で貴重な時間をバスごときに使っている贅沢もまたローカルバスの魅力だ。

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 それから、地元民とのふれあいも楽しめるのもローカルバス利用の大きな魅力だろう。言葉ができないなりに、身振り手振りで車掌や運転手、乗客に教えてもらい、目的地に向かう。これで通じたと思っていたら全然違ったときの裏切られた気持ちなんかもまた旅の思い出ネタとしては最高だ。

 東南アジアは全般的に人が優しいので、向こうも言葉ができないなりにがんばって理解しようとしてくれ、教えてくれる。この気持ちを感じるのもまたローカルバス移動の醍醐味である。

 そういう点で言うと、タイのバスはボクにはもうつまらない。言葉ができるので、バスの表示も読めるし、会話でも目的地がわかる。

 だから、最近はベトナムでバスに乗ることを楽しみにしている。ベトナム語はまったくわからないので、ぐんぐん進んで行き、目的地に着いたときの達成感がいい。もしくは、渋滞を抜けて猛スピードで思っていたのとは違う道を走る瞬間は、日常生活では味わえないドキドキがある。ベトナム人もああだこうだ教えてくれたりして、その優しさを感じたりする。

 あるときはホーチミンの安宿街ブイビエンから、中華街のチョロンに行くのにバスを使った。まあ、終点がチョロンなので簡単なのだが、乱暴な運転だった顔つきもいかつい運転手が降りようとしているボクに向かって「帰りはここから乗れば、また同じところに帰れる」とたどたどしい英語で言った。ブイビエンからボクが乗ったことを憶えていて声をかけてくれたのだ。こういうふれあいがいい。

 今でもたまに時間があればバンコクでバスに乗る。そうすると、ボクは1998年にタイで体験した緊張感を思い出すことができて、初心に戻った気持ちになる。ベトナムのローカルバスのわからなさはもっとよくて、まるで初めてのタイと同じような緊張感があっていい。いや、バスマップがない分、その緊張感はもっと上かもしれない。ベトナム旅行も最近は慣れてきてしまったので、そうやってバスに乗って、初期に感じていたワクワクを取り戻そうと楽しんでいる。

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