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カントーの水上市場に感動【後編】

 ベトナム南部、メコンデルタの主要都市カントーに行ったときに、珍しく早起きして水上市場を巡ってみた。小舟に乗って、カントー河を南下して見てきたカイラン水上市場だ。前回、そこで朝食として米粉麺のフーティウを楽しんだことを紹介して終わった。今回はその帰路の話を紹介したい。カントー市街地から船足のかなり遅い小舟で30分くらいかけて行ったのだが、帰りは違うルートだったので、時間はもっとかかったが楽しめた。

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 水上市場というと、タイの水上市場をボクは思い浮かべる。近年はタイ人向けの水上市場もバンコク近郊にいくつもできて人気がある。近年、タイはちょっとしたレトロブームになっているので、そういった昔ながらの雰囲気に惹かれるようだ。

 ただ、残念なのはタイはそういうところはたとえタイ人向けであってもボッタクリ価格が横行していることだ。だから、心からボクは楽しめない。このカイランにもそういうイメージを持って来ていたが、そんなことはなかった。

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 値段は憶えていないけれども朝食のフーティウは高くなかったし、食後に飲んだスプライトも普通の料金だった。

 ドリンクもまたちゃんとガラスのコップに入れてくれる。使い捨て容器でないから、食べ終わるまでその屋台船がずっと横にいる。なによりガラスコップや麺類の食器が使い捨てでないことはゴミが出ないことにもなる。それは何気にエコ的な観点から見ても評価できるのではないか。おそらく彼らはそんなことを考えてはいないだろうが。

 フーティウの船は卸しの大型船に横づけされ、ボクの乗った船はその屋台船に舫い、さらに飲みものの船は我々の小舟にひっついてくる。そのおかげで何人ものベトナム人といろいろと話ができた。屋台の人は英語ができなかったが、ボクの小舟の船頭は少しできたので、なんとか会話が成り立った。

 ベトナム人は英語ができない人は全然できない。ハローすらわからない人がいるというのはなかなかにカルチャーショックでもある。タイ人もあまり英語ができないが、ベトナムはそのタイよりも英語ができない人が多い印象だ。一方で、できる人はものすごく話せるのもベトナム人の特徴と感じる。タイ人はできる人は留学経験者が中心で、留学経験がない人はあまり流暢に英語を話せない印象だ。しかし、ベトナム人で英語を話せる人の多くが国内で習得している点もまたタイと大きく違う。

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 船好きのボクからすると、こんな船のナンバープレートの話もおもしろかった。頭のアルファベットは登記場所の頭文字になるのだとか。カントーはCanThoなのでCTなどと、船頭はいろいろと教えてくれた。このTVはチャビンだったと思う。ベトナム語ではTraでチャと読む。

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 食後はまっすぐに元の船着き場に戻ると思っていたら、別のコースでもいいよ、と。「じゃあ、それで」とお願いしたら、違う水路をどんどんと進んでいった。前回の記事のマップでカイラン水上市場のポイントがある場所のすぐ上の小さな運河をぐるっと回って市内に戻ったのだ。

 運河沿いには民家があって、川沿いには今にも崩れそうな細い道があった。

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 タイもそうだし、カントーだけでなく、東南アジアでは水路は今も生活の拠点になっていて、ここで洗濯をしたり炊事をしたり。この運河でもそういった様子が見られた。ベトナムらしいあの三角の笠を被っている人もいた。タイでは伝統的な衣装や道具は特別なときにしかしないものが多いので、ベトナムのこういう昔からのものを普通に使っている様子も興味深い。

 ボクは元々バックパックを背負ってタイにやって来たので、一応バックパッカー的なところから海外旅行を始めているのだが、どちらかというと観光地を巡ったり、いろいろな土地に行ってみるということがあまり好きではない。1ヶ所に留まって、じっくりとそこの人々の生活を観察することを好む。だから、カイラン市場の様子や、こういった運河沿いの生活を観ることはボクの好みにどんぴしゃりと合ってくる。

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 ちょっと遠くてわかりにくいが、橋の上を三角笠を被って自転車で走っていく女性がいた。のどかであり、ベトナム戦争映画などに出てきたワンシーンみたいだ。

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 水路沿いには工場もあった。氷を作っている工場だとか、おそらく食品工場だ。米所とはいえ、カントーは企業もたくさんある。近郊にはいくつか日系企業も進出しているそうだ。だから日本のODAで巨大な橋を造ったのだろう。

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 ちょっと進むと民家もない、ジャングルの中の小川みたいな風景なる。考えてみると、全然知らない土地で、全然知らない人とふたりって怖い。殺されても誰も知らないままだろう。

 まあ、ボクの体格と船頭だったらボクの方が勝つ見込みが高いけれども。女性だったらひとりでは危ないかもしれない。誰にも見向きされない中年男性でよかったとふと思った。

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 こういう安全性を完全に無視した建築物もボクは好きだ。今の日本は過剰というか、過保護過ぎると思う。昔の日本国内の農村の橋も、古い写真などで見ると欄干がなかったりして、そういう姿にボクはワクワクする。

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 浚渫工事なのか、ゴミを集めているのか。こういった働く船が多いというか、基本、ベトナムは働く船しかない印象だ。レジャーボートや豪華な個人用船舶をあまり見ない気がする。

 それはタイも同じか。タイだと個人所有のクルーザーはプーケットの富裕層向けマリーナに行けばあるが、ほかの地域ではあまり見かけない。タイはエンジンがつくものは高い税金がかかる。ボートはちょっとした大きさでも日本でさえ数千万円はするわけなので、それがタイでは何倍にもなると考えると、個人所有のヨットやクルーザーはハイパー富裕層しか購入できない。あるいは、外国からの富裕層くらいか。

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 カントーの新市街(?)の辺りに出てきて、がらっと風景が変わる。この瞬間もおもしろかった。あっという間に自然から文明の中に戻ってきた感じで。

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 カントー河に戻ってきた。この橋の辺りにある大きなホテルはカジノがある。タイは国内に認可されたカジノがなく、カンボジアやベトナムはホテル内にある。そのあたりがボクの中で東南アジア内でタイだけがちょっと違う国という印象だ。

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 もう間もなくカントー市街に。帰りは市場ではなく、公園の横の階段に船を着けてくれた。

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 船頭のおじちゃんだ。彼は元々交渉してきた人の息子だ。

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 このときはこの宿に泊まった。1泊だけなので、ホーチミンのゲストハウスに荷物を全部預け、小さいカバンひとつで来た。1泊7ドルだった。安いだけあって狭いし、快適ではなかった。

 このホテルに到着したときに、待ち構えるように先の船頭のオヤジがいて、朝日を観て市場観てライスペーパー工場観てというコースを提案してきた。そんなの行くわけがない。第一、40ドルって。7ドルの宿に泊まっている人が行くわけないし。

 そして、近くの市場をちょっと観て帰るだけ、1時間でと言ったら、「3時間はかかる」と。結局は船足の問題だったが、ボクは20ドルまで値切り倒し、それで合意となった。息子はたぶんそれを知らなかったのではないか。あんな遠回りしてくれて。

 その分、ボクは大いに楽しめた。もし今度カントーに行くとしたら、また彼の船に乗りたいくらいだ。ボクはこういう出会いは比較的運がよくて、いい人に出会える。とはいえ、カントーの人々はみな人柄がよかったので、ほかの業者でもちゃんと交渉して行けばボッタクリに遭うこともなく、きっと楽しめるに違いない。

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