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人の生死が身近なタイ

 救急救命のボランティアを2004年からやっているということもあるが、タイは人の生き死にがすぐそばにあって、死生観が変わるというか、敏感になり、そして鈍感になる。そんな気がしている。

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 先日、知人が亡くなった。何度かバーで顔を合わせて、少し話をするくらいの関係だったが、SNSで繋がっていたので、氏の投稿は目にしていた。

 ある投稿では心臓の血管が切れてしまったということで、バンコク都内の病院に行ったそうだ。緊急手術をしなければならないという医師の見解だったが、それを信じなかったのか、氏はそれを断って日本での手術を望んだ。しかし、医師は飛行機に乗れる状態じゃないと言う。それでも氏は無理矢理退院し、翌日なのかその数日後に亡くなってしまった。

 人はあっけないものだ。しかし、一方で「これで死なないの?」というくらい、強い一面もある。結局、生死はいつも紙一重なんだと思う。救急救命の現場でもそうだし、友人・知人、それから日本人の死も、バンコクに移住してからの約20年でたくさん目の当たりにしてきた。そんなときに思うのは、死はいつでもある日突然訪れる、ということだ。事故でも事件でも、自殺であってもそうなのだ。

 毎日こうして生きているが、明日が必ず自分に訪れるとは限らない。同時に、自分がいない明日は必ずやってくる。

 それならば、やっぱり自分が生きたいように生きていきたい。人に惑わされず、自分が思うようにやっていきたい。いつも背後にいる死が、ある日突然自分を追い越していくとき、「あのときああしていればよかった」、「もっとこうしていればよかった」と悔やむ言葉を出すよりも、「まあ、これでよし」とすんなりと死を受け入れることができるような生き方がいい。

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 とはいっても、子どもができるとなかなかそうもいかないのだが。十分な財産があればいいんだけれども、ボクなんかこんな仕事をしているし、金持ちになりたいという願望があまりないので(宝くじとか当たって金持ちにならないかなとは常に思っているが)、今のところ残してあげられるものがない。だから、今はまだ死ぬに死ねない。

 そんな生死が目の前にたくさんあるタイだけれども、当のタイ人は死に対しては鈍感な気がする。実際、人の生き死にが多すぎて慣れてしまっていて、ボク自身も人が死んだ話を耳にしても、よほどの仲でない限り軽く驚く程度になってしまっている。

 これもまたタイの側面だ。南国気質というか、いい方向に楽観的というのであればおおらかだ。しかし、悪いように楽観的になると、それは後先を考えていないということになる。カッとすれば暴力を振るい、ときには人を殺す。車の運転もいい加減で、バスやタクシーの運転手は自分と乗客の命の重さを考えることはない。そうしてタイはまたさらに生死の場面が増えていくのだ。

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 2017年に妻の祖父が亡くなった。普段の帰省には連れて行ってもらえなくなったボクだが、さすがに葬儀には参列することになった。バンコクからおよそ300キロの、ナコンラチャシマー県の農村である。

 タイの葬儀は日本のようにしんみりとしたものではない。祖父はかなりの高齢で亡くなったので、タイの平均寿命より圧倒的に長く、大往生を遂げたという感じだったこともあった。しかし、ほかのタイ人の葬儀でも大体こんな感じだ。

 タイ人は普段から寺院に行き、またいろいろな活動や行動の中で徳を積んでいる。報徳堂のボランティア隊員も名目では功徳のために活動をしているのだが、この行動は仏教の教えに従うもので、来世がよりよいものになることを願うからだ。餓鬼道や地獄、畜生道に落ちないよう、タイ人は日々努力をしている。

 あくまでもボクの印象だが、結局のところ、タイ人は来世のために生きているので、今生における死はあまり重要ではないのかも、ということだ。実際にタイ人は墓を持つ習慣がないし、火葬して儀式が終わったら遺骨は寺院に預けるか散骨してしまう。だから、タイ人は人の死に関してやや鈍感に見えるのかもしれない。繰り返すが、あくまでもボクの印象だが。

 祖父の葬儀もそうだったが、普通のイベントのひとつみたいな雰囲気だ。喪服を着ている人もあまりいないし、さすがに明るい服でなければ、どんな服でもいいらしい。

 妻を始め、妻の母や叔母、そして祖母も別に泣くわけでもなく、ときには談笑している。ボクに至っては、田舎の農村に突然現れた外国人に村人のじいさんばあさんが衝撃を受けているようで、なんか居づらかった。

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 タイの葬儀は長いときはかなり長い。前国王であるラマ9世王も崩御から葬儀まで1年かけているが、一般的には1週間前後になる。そのため、毎日泣いていられないというのもあるだろうが。

 ちなみに、一般的な葬儀においてはアメリカなどで行われる遺体保存技術であるエンバーミングは施されない。では、常夏のタイでどう1週間を乗り切るのかというと、棺桶自体が冷蔵仕様になっている。簡単に言えば、巨大冷蔵庫に遺体を入れて葬儀を行うのだ。

 そして、葬儀が終わると火葬が行われる。タイの寺院には大体火葬場があるので、そこに移動する。実際的にはこのときが葬儀の本番で、たくさんの参列者が来る。それまでの儀式は日本で言う通夜といったところか。

 ちなみに、タイで葬式は本来は自宅で行うが、バンコクなどでは現実的に困難なので、寺院で行う。バンコクの寺院は大きなところだと斎場が用意されていて、そこを借りて2、3日で済ませてしまう。

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 自宅から棺桶を寺院に運ぶときは、さすがに重いのでピックアップトラックに積み込むが、列の先頭には僧侶やネーン(子どもの僧)が立つ。祖父のときは親族の子どもから若い男が出家して先頭に立った。この葬儀だけのためにたった1日の出家だ。髪も眉も剃り、オレンジ色の袈裟を着る。このあたりは日本とは全然違う。

 寺院に入ると、火葬場の周囲を3周する(もっと多かったかも)。その前後には遺族が小銭などをばらまく。なんか村の子どもたちが集まってきているとは思ったが、それを拾い小遣いにしようと来ていたのだった。

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 祖父はいつもニコニコしている優しい人だった。ボクが妻の実家に行けば、軍鶏を絞めてくれ、鶏肉のトムヤムスープを作ってくれた。それが絶品だった。タイでは夫の方が妻の実家に入るのが普通で、祖父は元々は他県の人だ。

 また、祖父母は再婚同士で、祖父は他県に子どもたちがたくさんいて、祖母は祖母でたくさん子どもがいる。喪主は長男、この祖父母ふたりの子どもだが、なんとボクと同い年だ。妻と妻の母、そしてその姉妹たちはみんな祖父とは血の繋がりがない。それでも祖父の人格もあって、みんなに愛される人だった。葬儀にはそれぞれの子どもたち、その親族、それから地元の警察や役人などが訪れ、大きな葬儀になった。

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 しかし、火葬が始まると葬儀はそれでおしまいだ。薪で火葬するため、時間もかかるので、あとはコアな親族だけが遺骨を拾う。そのため、花火を使って炉に点火する儀式が終わると、みんなさっさと帰って行く。このあっさりしすぎる雰囲気もまたタイ人の死生観が日本のそれとはまったく違うのだなと感じさせた。

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