今さらながらラマ9世王の葬儀場一般公開の様子
タイの現王朝であるチャクリ王朝の9代目国王、ラマ9世王であるプミポンアドウンヤデート前国王が崩御してからもう4年が経つ。ラマ9世王は近代で最もタイ国民から敬愛された国王で、2016年10月13日の夜に崩御の報道があったときには、タイの時代がひとつ終わったと実感した。
そんなラマ9世王の葬儀は崩御してから1年後に執り行われた。エメラルド寺院の前にある王宮前広場に葬儀場を造り、2017年10月26日に国葬として葬儀と火葬が行われた。その後、その葬儀場は一般公開され、観に行くことができた。そのときの画像をどこにも上げていなかったので、ここで画像多めに振り返ってみたい。
ちょうど昨日今日でこの広場で反政府集会が開催されている。5万人規模で、最近の中では最大級と言われる。この報道を見て、皮肉なものだなと思いつつ、画像の存在を思い出したので、今日はこのネタでいこうと思った。
今現在は外国からの観光客がいないというのもあって静かな場所になっているが、崩御から葬儀後もしばらくは王宮前広場周辺はすべて通行止めになっていて車の往来はほとんどなかったらしい。葬儀場一般公開時も会場に向かう一般客の通路になっていた。
ボクが行った日は運良く人が少ないタイミングだったようだ。ほかの人に聞くと、まず広場入り口の待機場所に入るのに何時間もかかったのだとか。我々はすんなりテントに入ることができた。
公開は無料だった。こうしたテントにまず待機し、数百人単位で順番に入場するシステムになっていた。
タイはどんな活動にもボランティアが参上する。国民の大半が仏教徒で、徳を積むために社会貢献が普通に行われる。この葬儀においてもボランティアが多数参加していたし、ボランティアを支援するボランティアもいたほどだ。
おそらく国家的な予算ではなく、一般市民からの差し入れ的なものなのだろう。会場で待つ人にはひとり1セットずつ、水とちょっとした食べものと葬儀場のパンフレットが配布される。
そうして我々のテントの順番が回ってくると、正面入り口前にいったん集合する。そして、タイミングを観て、動き出す。
ちょっと天気がよくなかった。画像はあまり色が映えていないが、その分陽差しが強くなくて、見学するにはいい日だった。雨が降りそうだったので人が少なかったというのもあるだろう。
中に入って驚いたのは、普段なにもない広場がこうして祭壇に囲まれると広く見えたことだ。チャトチャック・ウィークエンドマーケットが今のところに移転するまではここで開催されていたことを考えると、やっぱり王宮前広場は相当広いのだな。
たしかこれが荼毘に付すための火葬の祭壇だったはず。会場の中心に据えられていた。
人の大きさと比べてみてどれだけ大きいかがわかる。たった1年でこれを造り上げたのもまたすごいことだ。しかも、葬儀が終われば取り壊すことは最初からわかっていることでもあった。一般公開は葬儀直後に決まったことのはず。
近くで見ても国葬にふさわしい、巨大で、かつ緻密な造りになっていた。ひとつの芸術作品でもあった。
葬儀から1ヶ月近くが経っていたが、このように最敬礼をして涙するタイ人も少なくなかった。崩御から葬儀の間はタイでは喪服が一般的で、国民はみな基本的には黒と白を基調にした服を着ていたものだ。
祭壇の周囲にはこういった美術品も置かれていた。ちゃんとタイ語や英語で説明も書かれていた。
ちなみに、ボクの妻のいとこはこの祭壇の西側のオブジェを担当していた。設計ではなく製作だけれども。でも、こういう国葬に関わっているなんて、誇らしい話である。
ほかにもこういった美術品が展示されていた。これらは葬儀後にどこに運ばれたのだろうか。ここにあったというだけで、タイ史においてはかなり貴重で意味のある美術品になるだろう。
入場には人数制限がされているわけなので、ほどよく閑散としていて、写真を撮影するにもちょうどよかった。家族連れの多くは祭壇を背景に写真撮影をしていた。このあたりも時代なのかなと感じた。
今のタイの現状を見ると、もう前国王をタイ国民が敬愛していたという時代が終わってしまい、次のステージに進もうとしているのかなと感じる。それがいいのか悪いのかはわからない。その答えはこの先何十年後にわかるだろう。
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