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イクメンという言葉が嫌いだけれども

「イクメン」という言葉が何年か前から日本にあるようだが、正直、ボクはこの言い方は嫌いだ。子どもができた以上、育児をするのは親の役目であるからだ。母親に対するイクメンに同義の呼び方はないでしょう。父親だって育児をしなければならないのは当たり前のことで、特別扱いの必要はない。

 もちろん、この言葉が父親に育児参加を促すためにできたものであろうことは推測できる。しかし、そもそも言われなければ育児に参加しないような父親はこういう言葉を逆手に取ってしまい、どうでもいい手伝い程度で育児をしたと豪語してしまうわけで。だからイクメンと囃し立てるのは、極端に言えば「車を運転するときには前方注意しています!」とどや顔で言い放つ輩を、周囲が称賛するレベルだと思う。

 日本はいろいろな物事に対して、なんでも「こうあるべきだ」と決めつける人が少なくない気がする。たとえばエスカレーターもどちらか片方に寄って立たなければならないとか、無駄なルールだと思う。うしろから人が来たら避ければいいだけの話で、最初から寄っていなくたっていい。それが今やとにかく寄ってないといけない雰囲気がある。そういった型にはまっていることが当たり前になると、今度はそこから外れていくことが許されなくなっていく。

 人生、そんなに難しく考えることはないのではないか。「言語」を「語学」と捉える傾向に日本人はあると思う。言葉はツールだ。誰も話すときに文法なんて考えていない。言葉はあくまでも経験と語彙力しかない。その言葉に親しんでいれば、自然と身につく。

 育児も同じだ。難しく考えることはない。こうしなければいけないとか、あれをやってはいけないということはない。自分ができることを、子にしてやればいいのではないか。子は結局、自然と育つ。だから、堅苦しく考えなくても、誰だって子どもを育てられるのではないか。そう思う。

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 バンコクに暮らすタイ人女性は帝王切開を望むことが多い。渋滞問題があるので、産気づいたときには間に合わないという事情があるからだ。交通課の警察官の中には助産師の講習を受けている人もいるくらい、稀にタクシーなどの車内で出産するケースもある。

 それから、希望した時間に子どもを産みたいという人も多い。敬虔な仏教徒だからなのか、昔からの精霊信仰の影響なのか、占いみたいなもので産む時間を決める人もタイは多い。

 あとは単に自然分娩は痛いというイメージから、帝王切開にする人もいる。ボクの妻がそうだった。確かに痛いのだろうけれども、帝王切開で腹を切るのだって痛いと思うが。その傷がふさがるまでも時間がかかるだろうし。

 ちなみに、タイの総合病院はだいたい出産パッケージがある。入院と出産費用をまとめて安くしたものだ。多くが帝王切開は3泊4日、自然分娩は2泊3日だったような。ものすごく短い印象だ。

 妻は初産を帝王切開にしたため、ふたりめを産むときは自然に帝王切開になった。一度帝王切開にするとふたりめ以降はそうなるらしいのだが、本当なのでしょうか。初産のときはちょっと心配だったのもあって、2泊くらい延泊した。ふたりめのときはパッケージ通りに退院している。

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 ふたりめの入院中は、上の子は義母が来て面倒をみてもらった。さすがに病院に泊めるわけにはいかないので。娘も人見知りをしないし、大好きな伯母・叔母も来たので、楽しく過ごしたようで。

 出産パッケージの場合はだいたい個室入院になる。だから、付添人も一緒に泊まることが可能だ。帝王切開なので、夜中などにトイレに立つにはひとりで行けないので、ボクが手助けすることになる。

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 今回の画像はすべてふたりめの子のときのもので、この病院ではパッケージ内に子どもの入浴レッスンも含まれていた。ひとりめとは病院が違うのだが、妻に聞いたところでは、最初の病院もこのレッスンはあったらしい。当時会社員だったので、昼間は病院にいられなかったこともあって、ボクは知らなかった。

 2回目の出産なので、妻にとってはすでに知っていることであったが、パッケージ内のことなので、一応レッスンは受けていた。このときはボクも参加していた。

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 育児は自然にできるものだとボクは思っている。よく父親に抱かれたりすると泣く子がいる。それを不思議に思う父親がいるらしいが、そんなの答えは簡単だ。父親がおむつを替えたり抱っこをしたりしないから、たまにすると赤ん坊も不安に感じて泣くに過ぎない。要するに、子ども中では他人にカウントされているということだ。

 ボクはおむつ替えも哺乳瓶での授乳もやった。ひとりめは母乳オンリーだったのだが、それが大変だったと妻が言うので、ふたりめは半々にした。ボクも哺乳分の消毒や粉ミルクの作り方をちゃんと憶えた。うちの子は夜泣きをほとんどしなかったが、ときどき夜中に泣き出すこともあって、そのときはボクが抱っこをしてあやした。

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 基本的にはなんでもやってきたが、ひとつだけボクが絶対にやらなかったことがある。それが入浴だ。赤ん坊の入浴は手が大きい父親の方が安定していて安全だし、向いていると思う。

 だから、上の子を連れて自宅に帰り、その日だったか次の日に入浴をさせる際、ボクがその役目を買って出たわけだ。ところが、一発目に妻がボクのやり方に不満があったのか、ダメ出しをし始め、しまいには怒鳴られてしまった。そのときに、これだけは二度とやるまいと決めた。

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 それ以外に関しては特にダメ出しがなく、それだけが妻の中で引っかかったようだ。負担は半々にした方がいいとは思うが、妻が自分のやり方を貫けるならそっちにした方がいい面もある。

 いずれにしても、子どもは母親と長くいるのだから、妻のやり方に従った上で育児に参加するのがベストなのである。その後大きくなってからは風呂に一緒に入るなどはしているので、ボクが育児に参加しなかったのは、唯一入浴だけ。あのときは鬼かと思ったよ、妻の顔が。

 ちなみに日本ではよく育児に疲れてしまう母親もいるが、ボクの妻はそういうことはなかった。日本のように自炊が当たり前ではないから、そういったプレッシャーもないし、タイ社会が子どもに優しい。

 電車に乗ると日本なら少なくとも妊婦や小さい子どもに席を譲ることはまずない。立っていれば鍛えられるみたいな、そこだけ脳内が昭和を突き進んでいるような理由も聞く。タイでは小さい子どもが乗ってきた瞬間に自然と席が空く。飲食店でも店員が面倒をみてくれることもある。

 社会的に子育てがしやすいというのもまたタイの大きなメリットで、母親が育児疲れをしにくい。父親だから母親だから、男だから女だから、そういった雰囲気がないので、自然、育児に参加しやすいのかもしれない。

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