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ちょうど10年が経った=ライター専業になって10年

 2011年2月に彩図社より、皿井タレーさんとの共著で「バンコク 裏の歩き方」が出版された。これがボクにとって初めての書籍で、これによってライターデビューということにしている。今月でちょうど10年だ。

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 若いときから書く仕事への憧れがあり、いつかライターとして生活できたらと思っていた。タイへの完全移住は2002年からで、2004年12月から華僑報徳善堂のボランティアに入った。タイに来た動機は、死体写真家の釣崎清隆先生が「死体を見るならタイに行け」と書いているのを真に受けてのことだったので、報徳堂で死体を片づける活動はボクにとっては必然でもあった。

 それを皿井タレーさんが見つけてくれ、氏の「バンコクジャパニーズ列伝」というインタビュー形式の書籍で取り上げてくれた。その後、ボクは皿井さんにつきまとい、ライターになりたいと何度か訴え、共著という形でボクの夢の実現させてくれた。皿井さんには感謝しかない。

 公式的には書籍出版日は2月23日になっているので、あと1週間くらいでデビュー10周年になるが、単行本なので早めに書店に並ぶこともあり、実質的な日付はわからない。まるでボクと妻の婚姻届けのようだ。国際結婚は海外の大使館に届け出ると、日本国内で受理される日付がわからない。もしかしたら戸籍謄本とかでわかるのかもしれないが、見たことがない。

カバー(切り抜き)

 ライターになって思ったのは、どうにかなるもんだ、ということだ。タイは特にどうとでもなる国で、やりたいことを自由にできる。悶々として過ごすより、ちゃんと動けばそれなりの結果がついてくるというか。ライターになりたい、じゃなくて、ライターになると動き出せば案外ちゃんとそうなれるもので。ただ、これが日本だったらそうなっていただろうか。やはりタイだからという部分は大きい。ということで、もっと早くから動いていればよかったなとさえ、今になって思う。

 人生は一寸先が常に闇。よく、老後にこうしたいああしたいという人がいるが、その老後は本当に来るのだろうか。仮にその老後が来たとして、やりたいことをできる保証もない。金銭的とかいろいろあるが、なによりも体力的に確実に今現在より劣るのに、同じことができるわけがない。やりたいことは先延ばしせず、今やるべきだ。

 5分後に死ぬかもしれないのに、何十年も先を考えるというのは、ボクにとってはナンセンスだ。今を生きる。それでいい。もし失敗したらそのとき考えればいい。40を過ぎて思うのは、歳を取っても人生はわりとやり直せるということ。だからまずはやりたいことをひとつずつやっていけばいいと思う。

バンコク裏19-20

 とはいえ、自営業なので日々はイバラの道でもある。思うように収入も上がらないし、ライターとしての技術力もどうだろうか。初期のころに比べたら書くのも早くなったし、取材力も上がっていると思う。でも、まだまだだ。

 ところが、一番の問題が、この「まだまだ」という向上心、モチベーションの維持が難しいことだ。実際にどれだけレベルが上がっているのか、上がっていないのかがよくわからない。先どころか目の前を見失いやすくなって、やるぞ! という気持ちを維持することに疲れてしまう。

 正直、鬱みたいになって仕事ができなくなった時期もある。今も闇の中にいるのは変わらない。好きでなった職業であり夢でもあったので、なんとかしがみつきたいと思っている。でも、今現在、この10年を節目に方針を変えなければならないとも考えている。執筆への姿勢、仕事の選び方、ネタの見つけ方、それから書く場所。これまでとは大きく変えていかないと、生き残ることはできない。

 石の上にも3年ではないが、ある有名な編集者が「好きでも嫌いでも、3年続いたらその職業は向いている」と言った。それなら、ボクはライターに向いている。自信を持ってライターですと言える。

 ボクみたいなのがこういう風にやっていけるのだから、バンコクというのは夢が叶う場所でもあるし、若い人にはやりたいことやれって言いたい。どうとでもなる。いつだってやり直せる。そして、いつだって始められる。

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