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 タイ語には声調がある。5つの高低があって、どんなに急いでいても、その通りに発音しないとまったく意味が違ってくる。たとえば、犬が来ると馬が来る、あるインスタントラーメンの商品名はカタカナでは全部「マー・マー」になる。声調が違うだけでまったく意味が違ってしまう。

 だから、タイ語は読み書きよりも発声が難しい。タイ語は英語のように単語そのものが変化することがない。その代わりに助詞などがたくさんあるし、日常会話、丁寧語、書き言葉がまったく違う。相当勉強しないときちんとした本物のタイ語は身につかない。

 とはいえ、勉強をしたところで、タイ人のように発音できるかどうかはセンスの問題でもある。母音の数が多く、日本語にはない発音があるからだ。さらに、前回紹介した有気音・無気音があり、末子音もある。単語の末尾の子音によって声調が変わったり、発音が違うなど、日本語との共通点は口から発することくらいかもしれない。それほど、タイ語には発音テクニックが必要で、日本語話者にとってハードルが高い。

 発音テクニックの一例を紹介すると、たとえば、末子音がアルファベットでの「K」、「T」、「P」は促音になるので、音を止めないといけない。意識して止めるとどうしても音を止めてしまいがちだ。正しく発音するには息は出したまま(発声を続けたまま)、舌で空気の流れを断ち切るというか。これは説明ができないほど難しい。

 それから、末尾が「M」、「N」、「NG」も促音ほどではないが、大変だ。これらは発音はそれほど難しくないが、ヒアリングではなかなかわかりにくい。タイ人はこれをちゃんと聞き分けているからすごい。

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 日本語は流れるように発音する。上記の「NG」は「ヘビのNG」になるのだが、文字上では日本語にこの発音は存在しない。しかし、「音楽」と言ったときに「ん」と「が」の間に「ヘビのNG」が実際的には存在する。日本語が流れで発音するので、そうなってしまうのだ。

 タイ語は発音を末子音で区切っていく。先の「ヘビのNG」で説明すると、鶏肉を載せたご飯「カオマンガイ」がわかりやすい。これは日本人にも人気のタイ料理だ。元々中国の海南島発祥の料理で、タイにはマレーシアなどを経由して入った来た。鶏を丸のまま茹で、その茹で汁でご飯を炊き、余った汁はスープになる。おもしろいのは、日本人はカオマンガイを鶏肉で評価するが、タイ人はご飯で評価する。ちなみに、この米は古米を使っている。

 カオマンガイを発音する際、タイ人は「カオ・マン・ガイ」と区切って発音している。しかし、日本人がカタカナで発音すると、先の音楽と同じで見えない「ヘビのNG」が出てきてしまい、タイ人には「カオ・マン・ンガイ」に聞こえてしまう。ひとつの単語の中にいくつもの末子音があり、そのたびに息止めやらを意識しなければならない。単語という一瞬の発声の間にやることが盛りだくさんなのだ。

 英語なども似たようなものなのかもしれない。だから、外国人が話す日本語はイントネーションは別にしても、カタコトに聞こえるのは、文字(あるいは音節)をひとつひとつ区切って発声しているからなのではないだろうか。隣の文字(あるいは隣の音節)とくっつけるかのように流れで発音することに慣れていない。

 逆に言えば、区切って発音することは日本人には難しいことにもなる。英語は身近にあるのでまだマシだが、タイ語は大半の日本人にとって未知の世界でもある。なおさら、タイ語発音は簡単ではなくなってくる。

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 結局のところ、ボクは言語はスポーツでもあると思う。反復し、経験を積むことで頭の反射神経が鍛えられる。たとえば、タイ語で赤いは「デーン」と言うが、デーンと聞いて赤と思い浮かべるのではなく、反射的にデーンはデーンと思えるまでになり、事後処理で日本語に脳内変換するような作業ができるようにならなければならない。単語をひとつひとつ翻訳作業していたら、会話に追いつかないのだ。

 だから、歳を取ったらなかなか習得できないし、センスがない人はどれだけ練習しても身につかない。その言語の正しい発音やイントネーションに留意し、文法に従い、かつタイ語なら声調も気にしなければ相手に通じない。

 日本語ならカタコトでも、イントネーションが多少違っても通じるだろう。タイ語はそれだとほとんど通じないと言っていい。日本人や外国人はタイ語をカタカナやアルファベットで習うので、多少声調が違っても言いたいことが想像できる。タイ人はタイ文字でタイ語を習得しているので、多くの人は声調が違うとまったく言っていることがわからなくなってしまうのだ。

 とはいえ、そこであきらめずに踏ん張ってほしい。タイ語に限らず、言語習得には大切な心構えがひとつある。

 それは、言語を語学と捉えないこと、だ。

 日本人がまず習う言語は英語だろう。多くが中学生になってから始める(今の子ども世代は違うのかもしれないが)。そして、学校で習う以上英語は中間・期末テスト、それから入試にも出てくるので、どうしても勉強の一環として見がちだ。しかし、言語はツールである。自分の意志を伝え、相手の気持ちを知るための道具に過ぎない。

 文法が変われど、人の気持ちは同じだ。今目の前にある食事がおいしいと言いたいとき、日本語とタイ語、英語で単語は違うものの、おいしいという気持ちに違いはない。

 自分が思ったことを単語にして言えばいいだけである。そのための道具なのだ。

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 タイ語は見慣れていない、聞き慣れていない言語なので、英語と違って難し印象があるし、実際に習得までに時間がかかる。でも、決してできないことではない。文法や単語の綴りに囚われることなく、とりあえず自分の意志が伝わればすべてよしとして気軽にいれば、言葉はいつしか自分の中に入ってくる。

 ボク自身、タイ語を学び始めたのは21歳のころで、すでに22年の月日が流れたが、いまだに完ぺきではない。それでも、ある程度通じるからまあいいか、と思っている。タイ語は難しいが、憶えれば、タイ国内においてこれほど便利な「道具」はない。タイ語の文法とか助詞だのなんだのという語学的なことはボクはわからない。それでも会話は成り立つのだ。

 まずはタイ人になにを伝えたいのか、なにを訊きたいのか、を自分の中から掘り起こしてみよう。そうすれば自ずとタイ語が身についていくはずだ。

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