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北千住ほど大きく変化した駅前がボクの中にない

 だいたい年1回くらい日本に滞在する。長いときで1ヶ月半くらい、短ければ2週間程度か。主に出版社営業で。最近は丸山ゴンザレスさんを頼って、いろいろ紹介してもらっているのだけれども、出版社がある場所、あるいは編集者と会う場所は都内でも限られてくるので、ここ近年はよく行く場所は決まってきた。

 やっぱりボクが住んでいた20年近く前と比較するとだいぶ東京も変わった。ただ、バンコクと違って東京の変化はそれほど早くはない。だから、去年と今年では変わったと言っても新しいビルが建つわけではないし、道路も新しく開通しているというほどの変化はない。

 その中では、北千住駅前の変化が最も著しい。あくまでもボクの個人的な見解だけれども。かつて北千住は大都会だった。ボクの中では。これ以上の発展はないほどだと思っていたが、現在の駅前はかつての面影のかけらもない。

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 北千住はまず東口が大きく変わった。元々はただの住宅街で、用がなければ普通は向かわないような場所だった。今は大学とかがあって、若い人で賑わっている。

 ボクはマンガはあまり読んできていないのだが、最近は食べもの関係のマンガが好きで、kindleでまずは無料版でいいものはないか探している。その中で見つけたのが、ドラマにもなった(らしい)マンガ「ホクサイと飯さえあれば」だ。まだ冒頭しか読んでいないが、これは北千住に進学のため暮らし始めた女子大生の話だ。物語の舞台にすらなるような場所に、北千住は変わっているのだ。

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 北千住は元々、西口がこの駅の顔で、それは今も同じだ。とはいえ、かつて駅前はバスのロータリーがあって、もっと雑然としていたというか。今もバスのロータリーにはなっているけれど、その上には遊歩道ができて、蓋をしているような状態だ。

 高校に入ってすぐ、ボクはバイクを買うためにバイトを始めた。ハーゲンダッツ北千住店だったのだが、そこがあったところはもうなくなってしまった。

 ちなみに、ハーゲンダッツなので、働いている女の子はかわいい子ばかりだった。とはいえ、当時はボクが一番年下で、誰からも相手にされることなく。和久井映見に激似な人もいたが「おう高田~おめえよ~」みたいな感じ(若干ガラの悪い和久井映見という印象で・・・)で、ボクは完全にアウトオブ眼中のさらに外枠にいたと思われ。

 ハーゲンダッツの向かいにはKFCがあった。当時はケンタッキー・フライド・チキンと呼んでいたが、今日本ではどう呼ばれているのだろうか。タイは「ケーエフシー」であり、ケンタッキーとか正式名称を知っているタイ人はほとんどいないのでは?

 ハーゲンダッツのカウンターからそのケンタッキーのカウンターが見えるのだけれども、そこにも派手でかわいい子がいて、ハーゲンダッツで相手にされないなら、とKFCに向かって必死に愛想を振りまいてみた時期もあった。しかし、当然なんのアクションもなく。ホント、モテない高校生だったな、自分。

 いつの間にかマルイもできていた。ネット検索するとできたのは2004年のころみたい。ボクは2002年にタイに移住し、2003年4月に一度日本に来てから2年以上まったく戻っていないので、マルイは突然目の前に現れたような感覚だった。

 ボクにとって、というか少なくともボクの同世代以上の足立区民にとっては北千住と言えばルミネであり、足立区の最先端だったと思う。それがマルイまで登場し、さらにその中には東急ハンズもあるし。なんだか北千住が上野を凌駕したような気すらしてくる。もうあれ以上の発展はないと高校生くらいまでは思っていたが、変われば変わるものだ。

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 駅前はとにかく大きく変わっていて衝撃レベルだが、一方で商店街はむしろ昔のままという感じ。それはそれでまたすごい。今もあるかどうかわからないが、駅の近くにタイ料理屋があり、そこの美人姉妹が美しかった。あとは、明るい農村とかそんな名前の、今で言うバーレストランみたいなのがあって、よくそこに飲みに行ったものだ。当時は未成年でも簡単に入店できた時代だった。

 上の画像のマクドナルドのビルの横は飲み屋街になっている。ここもたぶん昔ながらの通りだ。ただ、ボクが若いころはこういった中年男性向けの飲み屋街にはさすがに足を運ばず。だから、違いはわからない。それでも、タイからするとこういう飲み屋街は「これぞジャパン」という感じで、結構楽しい。新宿西口の北側にある飲み屋街なんか外国人が多くなっていたが、この辺りもそのうち外国人客が押し寄せてくるのではないだろうか。

 この飲み屋街にある焼肉の京城という店は何回か行ったことがある。といっても、タイに移住直前とか。そのころは生肉が普通に食べられたので、レバ刺しもそうだが、カルビなんかは「新鮮だから生でもどうぞ」なんて言いながら店員が持ってきてくれた。まあ、脂がきつすぎてカルビ焼肉の肉は生食には向いていないのかなと思ったな。

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 さすがに今は生肉は馬刺しくらいか。数年前、朝鮮関係の記事を書くライター我妻さんと九州料理屋に行った。赤身は食べたことはあるけど、タテガミはたぶんこのときが初めてだったと思う。こういう店も普通にあるっていうのがすごいね。

 ただ、酔客は相変わらずって感じだったかな。去年また我妻さんとこの通りで飲んでいたら、前の道を1歳2歳くらいの子ども抱えた千鳥足の女が歩いてくるのが見えた。今どきのガラの悪そうな若者って感じで。旦那らしき男はほかの友だちと話しながら前をすたすた歩いていっちゃう。そうしたら、その女性、子どもを抱えながら前のめりに転んだ。まあ子どもを守って女は顔面から地面に突っ込んでいったのは偉いけど、そこまで飲むなよ。そして、最悪なのはその夫らしきヤツだ。一応心配の声をかけるものの、起こすのを手伝うわけでもなく、子どもを抱き上げるわけでもなく。

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 北千住の変化のなにが一番驚きだったかというと、いつの間にか、住みたい街ランキングで上位に入っていたことだ。一時期はトップだったのだとか。そらマンガの舞台にもなるわけだ。ボクの感覚からすると、足立区唯一の都会ではあるけれど、住みたいかというとそうでもなかった、かつては。

 なぜなら、当時はたぶん上野動物園のサル山で暮らした方が安全だからだ。ボクが中高生の時代は、こういうところに不良たちが集まってきたので、顔を上げて歩こうものなら危険な目に遭う可能性もあった。実際、反社の人も多いので、友人なんかは北千住で深夜ナンパして歩いてたら、反社の人に車で追い回されたとか。ボクも何回も反社の人に絡まれたことがある。一般市民の、しかも若者に絡むあたり、足立区の反社の低能加減がわかるというもの。

 そういう過去を知らない人が客観的に見ると、大学もあって学生が多く、店もたくさんあり、乗り入れの電車路線も複数あるからと、確かに利便性は高い。上野なら10分ちょっと、渋谷は乗り換えなしで1時間もかからなくなった。半蔵門線と直結になって、ホント東武線は使いやすくなったし。

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 ちょうどJTBの看板が立っているビルの辺りがKFCだったはず。もうハーゲンダッツの建物はないんだな。

 あと、この帝京科学大学の看板があるビルの辺りにマクドナルドもあったはずだ。ここで高1の大晦日から日の出まで、同級生たちと夜を明かした。どこかで飲んで、深夜も電車が走っているのをいいことに、同級生の女の子の家を訪問しまくり。全員、まったく持てないから女気もないので、変な方向に走り出すのは仕方がない。そして、最終的にここに来て、土手から初日の出を拝んで帰ろうと、人生で初めて一睡もせずに夜を明かした。

 そういう思い出の場所が今は全部ないっていう。だから、北千住はだいぶ変わったのだという印象になるのだ。

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