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ベトナムのススメ【カントー編】

 ベトナムが好きだ。なんなら、今、タイよりも好きだ。タイにはもう長く暮らしているので、むしろ自分にとっては外国ではない。だから、好きな外国を訊ねられたら、現在は真っ先にベトナムと答える。そんなベトナムのどこがいいのか、ボクの見てきた感覚で紹介する。第4回目の今回はメコンデルタにあるカントーという街だ。

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 ベトナムは北部中部南部の3地方かと思っていたが、カントーがあるエリアはメコンデルタ、あるいは西南部と呼ばれる地方になるようだ。メコンデルタというくらいなので、メコン河流域にある街だ。

 カントーはホーチミンから160キロほどの距離にある。バスで3時間かかったかかかっていないか、そんな距離感だった。以前は道路や橋が整備されていなかったのでもっと時間がかかったらしい。

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 ホーチミンからの長距離バスはいろいろあるが、この英語社名が「FUTA]という、オレンジの会社が本数が多くてよかった。30分おきくらいに出ていて、車内はWi-Fi完備だし、この会社専用の休憩所もあってそこで軽く食事もできる。ボクは往復で巨大な肉まんを買った。妙に気に入ってしまい。ウズラの卵がまるまるひとつ入っているくらい大きい。

 このFUTAは30分おきでバスの形態も大きく変わる。ベトナムには普通の座席バスのほか、スリーピングバス、つまり寝台車があるのだ。一度試してみたいと思っていたのだが、運悪く乗れなくて、帰りで乗ることになった。ちなみにスリーピングの方が人気があるのか、行きのバスはボクを含めて乗客が3人しかいなかった。

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 ただ、寝台車は乗ってわかった。もう二度と乗らない。タイのVIPバスと違って、「フルリクライニングができる座席」ではなく、画像のようにずっと寝転んでいる状態なのだ。しかも、乗車時にクツを脱がされるので、万が一横転した際には地獄絵図は必至だ。

 その寝台も乗り心地がいいなら別だが、そういうわけでもない。荷物を置くスペースもほとんどないので、まっすぐに寝転べないし。足臭いベトナム人もいるし。

 もしどうしても乗るなら、窓側をおすすめする。また、車内で2段ベッドになっているので、下を選ぶことだ。通路側だとふたりで並ぶ席になるので、隣の乗客次第で地獄になり得る。

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 ベトナムの米生産の50%がカントーだそうで、食事もいろいろおいしいものがある。生春巻きの皮もこの辺りで作っているそうで、そう言われてみればおいしい気がした。皮の色がちょっとほかと違ったのだ。

 カントー市内ではデタム通りに若者が集まる食堂がたくさんあると聞いて行ってみた。デタムはホーチミンの安宿街ブイビエンにも接続している通り名と同じだ。タイと同じで、ベトナムも似たような名前の通りがどの街にもあるようだ。

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 デタムは噂通りの大盛況で、というか、噂を超越している感じで、食事時にベトナム語のできないボクなんかはどこにも入れない。白人はこういう安いところならどこにでもいるが、その白人でさえいない。

 そこで食べたのが、麺食堂にあった「ブン・マム」だ。ブンハノイ編で紹介したブンチャーのブンだ。米粉を微発酵させた麺で、マムは魚醤であるニョク・マムのマムだ。タイ語と構成が同じで、ナム・プラー(ナンプラーと表記することが多いが)はナムが水、プラーが魚なので、ニョクが水、マムは魚という意味になる。

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 ブン・マムは魚を具材にしているほか、小魚を発酵させた調味料も入っているらしい。独特な風味があるが、タイのイサーン料理(東北料理)に慣れていればむしろおいしいと感じるものだった。

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 ホーおじさんの銅像はどこにでもあるね。ホーおじさんはベトナム戦争終結前に亡くなっていることを実はわりと最近知ったりして。あと、これだけ銅像などがあるが、本当はホーおじさんの遺言をガン無視しているみたいだね。ベトナム人らしいというか、東南アジア気質というか。

 カントーのホーチミン像は川沿いにある。ラオスのメコン河、カンボジアのメコン河と見てきて、ついにベトナムのメコン河か、とボクは感慨深く畔から河を眺めていた。

 が。

 カントーの目の前の河は支流であって、メコン河ではないということにホーチミンに戻ってから知った。オーマイガッ。あの気持ちを返してほしい。ちなみに、カントーとホーチミンの間にメコン河本流があり、そこを橋で渡って往復している。ところが、その両方でボクは車内でスマホを弄っていたため、結局、いまだメコン河をベトナムで見ていない。

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 そんなカントーの銅像の前に「メコン」がある。メコン河は観られなかったが、メコンには出会ったのだ。

 夜のホーチミン像の前は若者たちの憩いの場になっている。ベトナム人はどこでも夕方になると外に出てきて、夕涼みを楽しむ。その一大スポットがカントーではここらしい。そんな場所の前にあるのが、このメコンという名のバー・レストランだ。

 いや、かっこよく言えばバー・レストランだが、単に食堂だろう。店内には「メコン 1965」と掲げられている。これが本当ならベトナム戦争真っ只中に開業したことになるが。ただ、店員がみんなじいさんばかりなので、それも本当なのかもしれないと思えてきてしまう。

 ここは取材の帰り、結構夜遅くに来た。と言っても、20時ちょっと過ぎだったとは思う。ベトナムもラオスも、あってないような法律ではあるものの、未婚の男女が22時以降に同じ部屋にいてはいけないといった法令があるらしい。だから、本来は20時過ぎなんて結構遅い方である。

 カントーは実は夜の蝶の出身地としても知られているらしく、そんなカントーのナイトエンタメは美人ばかりなのかと歩き回っていた。ところが、田舎なのでそういった店が少なく、かつ英語はまったく通じずで、あきらめて歩いて帰ってきた。2時間くらい歩いただろう。へとへとで冷たいビールを飲みたかった。

 そのときに目に飛び込んできたのが、メコンのビール2万ドンという看板だった。ラルーだったと思うが、よく冷えていておいしかった。ただ、ちょっと口寂しい気がして、安い料理を頼んでみた。生春巻きと、土鍋の豆腐とキノコみたいなことが英語で書いてあったので、それを注文する。

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 すると出てきたのが上の画像で、揚げ豆腐とフクロダケを醤油っぽい味つけで炒めたものだった。土鍋は火傷するほどに熱くて、しかもご飯がついていた。

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 店員のじいさんが一所懸命に食べ方を教えてくれる。その優しい雰囲気と、実際その炒めもののおいしさが感動もので、素晴らしい時間を過ごすことができた。

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 翌朝はカントー市街地から一番近い水上市場を見に行った。小舟を3時間20米ドルでチャーターして行ったのだが、この船は宿の下で頼んだものだった。

 その日、カントーのバスターミナルに着き、タクシーでゲストハウスに乗りつけると、チェックインの前におじさんがボートを勧めてきた。当初は朝5時に出て、朝日を拝み、遠くの水上マーケットや生春巻きの皮の工場などを観て昼ぐらいに帰ってくるプランで、50ドルということだった。

 ちょっと待てと。ボクはそのときに泊まったのが7ドルの部屋だ。日本のテレビでも散々出ている水上市場に50ドルも払って行くわけがない。それで、近くにあるマーケットなら往復3時間で行けるので、30ドルだと言われ、値切りに値切って20ドルになった。

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 船上で朝食を食べようとしたら、結局麺類になった。「フーティウ」という麺だ。カンボジア発祥の米粉麺とされるが、タイのクイッティアオと大いに関係があるはずだ。発音も似ているし。ただ、コシがないので、クイッティアオとフォーの中間という感じだったが。でも、この船で食べたフーティウはおいしかった。

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 麺を啜っていると、背後に近づいてきたボートからスプライトを買う。船頭にはコーヒーを奢る。ガラスのコップで渡してくるので、飲み終わるまで飲みもの船は離れていかない。麺の船も器が陶器のちゃんとしたもので、食べ終わるまでそこにいてくれる。

 そもそも野菜を売る船に麺の船がひっついていたところに我々が来た。だから、最終的に我々ふたり、麺売りのおばちゃんがひとり、飲みもの船にひとり、野菜船に4人くらいでがやがやと食事をしている感じになる。船頭がそこそこ英語ができたので、結構楽しかった。

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 食堂のメコンもそうだし、このマーケットもそうだが、カントーは人がすごくいいと思った。船頭もあれだけ値切ったのに(ただ、船頭本人はボクが値切った相手の弟らしいが)、丁寧にガイドしてくれたし、帰りも別ルートでマングローブ林みたいなところを走ってくれて、ちょっとした船旅を楽しむことができた。

 メコン河を結局見ていないということは、逆に言えば、またいつかメコン河を求めて、ボクはメコンデルタを訪ねることができるということだ。またいつか、カントーに行ってみたい。

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