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やっぱり20年も経つと街が変わる

 タイは日本よりも建築に関する基準などが違うからか、異様に早く建物が建ったり、店がオープンする。道を歩いていて、昼前になにか造っていた場所に看板が掲げられて、ああ店ができるのか、と思っていたら、夕方には開業していることもよくある。

 日本はその点では始まるまでが遅い。日本のビジネスにスピード感がないと言われることのひとつのような気がする。でも、さすがに20年近くも経つと、街の様子は大きく変わる。上野公園に行ったときにそれを強く感じた。

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 ボクが進学した高校は上野にあった。芸大と動物園の間に挟まれた校舎で、当時は教室にエアコンなんてないし、夏なんかは動物の臭いが漂ってきていたような気がする。授業中に塀の向こうからパオンパオン、象が鳴き喚いている声は頻繁に聞こえてきた。

 当時は芸大の横に京成線の駅があった。上野と日暮里の間で、駅名、なんだったかな。当時ですら何本かに1本しか停まらないし、駅員もいなかったような気がする。本来は反対側のホーム(下り線側だったはず)に行くには、一度上り線のホームのさらに下の通路を通らないといけない。それが面倒で、みんなで線路に降りて向こうのホームに這い上がったりしていた。そんな駅は今も外側はあるけれども、入り口は封鎖されている。

 これだ。1997年に廃止されているようだ。だから、やっぱりボクが高校生のころは普通にやっていたのだな。全然電車が停まらなかったけれども。

 周辺も変わったが、上の画像のように、国立博物館の前の開けた場所も全然違う。前は池と噴水がもっと大きくあった。それがなくなっていた。

 あと、上野駅の前。公園口というのだろうか。文化会館と西洋美術館の前が完全に埋められて歩道になっていた。上野に車で行くと、いつも線路沿いの立体駐車場に停める。そして、帰りは左折して坂を上り、科学博物館の裏手で右へと線路を越える橋を渡れば昭和通りに出られるので。でも、そこが’潰され、小さいロータリーになって行けなくなっていた。

 立体駐車場がいっぱいのときは科学博物館裏の橋手前にある信号の駐車場が穴場だったのに、それも使いづらい。まあ、鶯谷とか昭和通りか金杉通り(あるいは入谷口通り)からくればいいんだけども。ただ、あくまでも立体駐車場の予備的な穴場だったわけで、橋のところからわざわざアメ横まで歩くのも面倒。

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 あと、全然知らなかったのだが、五重塔があったり、東照宮があるんだな、上野公園の中に。高校生のころは上野動物園の前辺りから南の方に行くと、花見の季節以外はイラン人が大量にたまっていて、危ないところだった。夜間なんかドラム缶に火を入れて暖をとってたのを見たことがある。もはや日本じゃないみたいな場所だった。

 だから、東照宮とか五重塔があることを去年まで知らなかった。上野動物園の目の前なのにね。去年親戚が亡くなり、谷中墓地に入ったときに徳川家の話だとか東照宮の話になって、初めて知ったのだ。

 まあ、高校の場所も上野駅を使うよりは千代田線の根津の方が近かったってのもある。定期券は上野にしていたけれども、大半の人が根津を使っていて、帰りだけ千代田線を使っていたってこともあって、上野公園は早朝に通るだけだった。でも、それも1年の前期だけで(2期制の学校だった)、あとは京成線のところから不忍池の側を通っていた。というのは、当時、なぜか上野のアメ横の方の入り口に自衛隊の勧誘が多くて、高1だって言っているのに「またまた」とか言ってしつこかったから。

 そう考えると、上野公園はいい意味で変わった気がする。平和になったというか、落ち着いたというか。いや、公園だけじゃなくて、上野自体が変わったのかな。かつては映画館もポルノ映画館もあったり、普通の映画館もヤバい客がいたりで、おちおち映画を観てられなかったくらいだったし。

 地元もだいぶ変わってしまって、なにがなんだか。区画整理でレイアウトも完全に変わった。ここで曲がったらここら辺に出そうだという予想がまったく当たらない。というか、曲がって行った先も区画整理で変わっているから、同じ場所かどうかすら判別できない。

 ボクの実家はボクが20歳になってから引っ越しているので、日本滞在中に過ごす家の周辺をほとんど知らない。駅から実家までと、実家から東京方面に行く大通りまでしかわからない。なんなら妻の実家の方が道とかわかるもの。昔で言うところの「ふるさと」ってのがボクにはもうないのかもしれない。

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