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日本で生活するなら刺青は入れるものではない

 日本のボクシングでタトゥー論争が巻き起こっているらしい。有名選手がタトゥーを入れていたことで処分が下されるとか。

 はっきり言って、それで論争が起こることがおかしいと思う。あとづけのルールで処分ならおかしな話だけれど、元々あった「刺青は見えないようにすること」というルールには従わなければならない。

 一方であいまいな部分もあるらしく、外国人選手の場合は適用されないとか。それもおかしいと言えばおかしいが、コミッションがルールブックなのだから、現状は従うしかあるまい。嫌ならそのルールを変えるように働きかければいい。

 日本はどうしても刺青に対して嫌悪感が先走る。これは仕方がないことだ。ただ、刺青支持者がよく言うのは、外国は違う、ということだ。これに対して「コイツ、なに言ってるんだ」ってボクはいつも思う。

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 日本だと温泉などに刺青があると入れないケースが多い。これに対して支持派は「遅れている」とか言うわけだ。でも運営側がダメだと言うなら、もうそれしかないのではないか。遅れているもなにも、日本では「刺青はダメ」が普通なのだから、むしろ先端だと思う。

「和食は箸で食べるのだから、フランスの料理店も箸を置くべき」と言うのと同じな気がする。和食は今世界的ブームだから従うべき、みたいな。日本国内のルールは日本人が日本国内で決めるべきで、対外的なことを考慮する必要はない。外国人観光客がほしい温泉地なら刺青を解禁すればいいし、日本人に配慮するなら禁止にしておけばいいのだ。

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 日本の刺青の歴史は縄文時代まで遡るのだとか。そのころは部族の象徴だったり装飾の意味合いがあったようで。しかし、いったん廃れたあと、江戸時代に入って受刑者に刺青を彫るようになった。明治になってその法令はなくなったけれども、装飾としての刺青はそのまま禁止され、解禁は昭和23年になる。

 禁止されていることをワルはその気合を誇示するためにやってしまう、というような中学生みたいな精神は昔から人間に備わっている。刺青禁止期に悪い連中が刺青を非合法で彫ったりするものだから、刺青=無法者というイメージになり、それが今も続いている。だから、日本では刺青はよくない印象になるのだ。

 海外でも受刑者に彫る国もあったにしても、そこまでの嫌悪感はない。タイの刺青文化はカンボジア系の住民が呪術関係の言葉を彫ったことが始まりのようで、今も仏教のお守りとして残っていることから、日本とは刺青への印象が違う。欧米もファッション性が強いし、船乗りや兵士が事故や戦闘で四肢がバラバラになっても個体確認できるよう体の各部位に刺青を彫ることもある。

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 ただ、ひとつ言いたいことがある。やっぱり刺青支持者が海外での見られ方を引き合いに出すけれど、とにかく日本の刺青文化を語るために海外を引っ張り出してはいけない。文化や起源が違いすぎるだから。そんな日本の刺青支持者がときどき言う海外の刺青の印象に対して声を大にして言いたい。

外国だってタトゥーを入れている人はまともな人に見られていないぞ

 印象が日本ほど悪くなく、刺青に寛容なタイだって、たとえば同じレベルのスキルを持った刺青のアリとナシの人が面接に来たら、刺青がない方を採用するから、普通は。バンコクだと、20年くらい前はどこにでもタトゥーショップがあったのに、タイでは学生が会社に就職することが当たり前になってきたことで、10年とちょっとくらい前にタトゥーショップがかなり減った。若い人が入れなくなったからだ。その後、若干盛り返しているけど。

 警察や軍の高官、有名な会社経営者とかも刺青はまず入れない。入れるとしても見えないところにワンポイントくらいでしょう、せいぜい。寛容なタイだってこんな感じなのだ。

 ある日本人の彫り師が言っていたのは「温泉に行けなくなる、とか、行動が制限されるかもしれない、と少しでも迷うなら刺青は入れない方がいい」ということだ。海外ならその制限はほとんどないし、日本でもそういった目で見られることを覚悟できているなら入れればいい。ただ、刺青の正当性を語るには日本はまだその土壌はないということだ。

 何年か前に大阪の市職員だか府職員の刺青問題があったかと思うが、あれだって文句を言う職員がおかしい。日本で刺青を入れて公務員になるのは、ドレスコードが明記されたレストランに違反した服で行って断られて文句を言うのと同じ。

 刺青を入れて日本で生活するのならば、ある程度生活が制限されることは覚悟した方がいい。それが嫌なら、海外移住するか、入れないという選択肢しかない。

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