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高田マガジン胤臣

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タイ在住ライター高田胤臣をまとめたマガジンです。
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2021年3月の記事一覧

怪談トークイベントを見学して

 今朝、東京に帰ってきた。昨晩、大阪を出発して、朝7時くらいに東京近辺に着いた感じで。往復すべての行程をモノガタリの木村さんが運転したので、移動はそれほど疲れず。  昨日28日はボクの出番はなかったけれども、3公演を全部見学させてもらった。1部は怪談師・田中俊行さんのワンマンショー、2部は27日にボクが出た3部で共演した怪談師・村上ロックさんと田中さんの、3部はロックさんのワンマンショーだった。  昨日も思ったが、こういうトークイベントというのがあって、それを観に来る人が

トークイベントというカルチャー

 先日告知した大阪のイベントに出演させてもらった。会場はなんば? 千日前っていうのかな? 若者が多いエリアで、ボクの印象では下北沢みたいな場所だった。  大阪って道が広い。ビルも新しいし、中国とか外国的な雰囲気を感じた。東京より住みやすそうな感じ。  会場が入ってるビルはほかにもイベントができるバーとかがあって、トークイベントというカルチャーが成立する場所だった。東京もそうだけれど、こういうイベントをやろうという人がいて、それをわざわざ時間を割いて金を払って観に来てくれる

取材申し込みをしたら「●●●で送ってもらわないと困る」と言われた@2019年

 タイに来たきっかけは報徳堂の活動を見たいという衝動だった。でも、当時はタイ語ができず、そもそも海外旅行も初めてだったので、辿り着くことができなかった。その代わり、カオサンの近くにあったシリラート病院の通称「死体博物館」に通った。今でこそ有料の資料館になっているが、当時は完全無料というか、博物館としての状態ではなかった。  今のシリラート病院はこんな感じで、タイで最も大きくて設備の整った国立総合病院になっている。以前はこんなにたくさん建物がなく、そこらへんにある病院と雰囲気

経歴とか経験は盛っていった方がいい

 たぶん日本人だけが経歴とか経験に対して1ミリも盛ることを許さない国民性なのではないかと思う。タイ人はちょっとでもやったことがあればそれを経験として豪語する。このあたりが、日本だと行き詰ってしまうことがよくあり、タイはなんとかやっていける寛容さというか、気楽さがあることに繋がるのかなと思う。  画像は2010年のものだ。このころはまだボクはギリ会社員であった。そのころは人が入ってもすぐに辞めていってしまうので、常に新しい現地採用者を面接しているような状況だった。ボクとしては

日本のタイ料理店にはなかなか行けない

 初訪タイ後の1999年春、渋谷のタイ料理店でバイトをしていた。そこでタイ語をいろいろと憶え、東京に住むタイ人の生活などを見せてもらった。当時は東京でもタイ料理店はあまり多くなかったと思う。だから、タイ料理フリークは東京のタイ料理店すべてを網羅しているなんて驚くべきことではなかった。すごい人は厨房のタイ人の名前まで把握していたほどで、業界としての規模が当時はそれほど大きくなかった。  近年はナンプラー、パクチー、ガパオなどタイ語名がそのまま通じるようになったほどタイ料理が定