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菊理姫ククリヒメ~典型的な嘘?

~プロローグ~

【日本の古代神を眠らせる者達】

白山開山の起源は、

十一面観音の化身である九頭竜王

が泰澄の前に現れたことによる。また、白山権現は、後述の九頭竜出現伝承にもかかわっている。

九頭龍(水龍)は神社にも有るように神様として扱われています。これはインドのアナンタ伝説でも同じ物を示します。インドから仏教は伝わっていますので。

~以上~

※日本は、仏教と神道が混ざったり分化したりした時代が有った為同じものでも呼び名が違かったり合流させて一つの物にしたりしています。そこで詳しくないと分からない様になっているのですが、そこに祀神を改変する余地が有ったとも言えるのです。

【キーワード】
仏教教義:十一面観音の化身である九頭竜王と神社に祀られいている九頭龍(水龍)はつまり同じものです。神主さんなども九頭竜と水龍は一緒ですとおっしゃているのですからそうなのでしょう。

【白山の本来の神はククリヒメでは無いです】
白山の翠ヶ池(みどりがいけ)から十一面観音の垂迹(すいじゃく)でもある九頭龍王が現れますが、九頭龍伝承や九頭龍伝説として、日本各地には九頭龍(大神)に関する伝承・伝説が残っています。

【九頭竜を虐げている根拠は以下の内容からも分かります】
千葉の鹿野山麓の鬼泪山(きなだやま)には、九頭龍という九頭の巨大な大蛇が棲みついて、村人を襲い人々を喰らっているといいます。 村の長が都に使いをたて大蛇退治を願い出たところ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が大蛇退治に遣わされました。 村人がその恐ろしさをタケルに語ると、タケルは腰の剣を抜いて「必ず この草薙剣で大蛇を退治してみせる」と誓い、村人の案内で小川沿いの道を鬼泪山に分け入っていきました。 タケルは懸命に九頭龍を探しますが一向に見つかりません。疲れ果てていつしかタケルは眠りこんでしまいました。するとそこに九頭龍が現れて、タケルを一飲みにしてしまいました。

三日程たったある日のこと。村の娘が小川で洗濯をしていると、だんだんと川の澄んだ水が赤く染まっていきました。娘はあまりの出来事に驚いて、村人を呼んできます。「タケルノミコト様が大蛇を退治して下さったからに違いない」「いやもしかしたら、タケルノミコト様の身に・・・」などと話し合っていると、ヤマトタケルノミコトが現れて「つい油断して九つの頭の蛇に一呑みにされてしまった。幸いにも生きていたので 約束どおり この剣を抜いて、奴の腹の中を滅多斬りに切り裂いて、外へ出ることができた。そして、九つの頭を全部切り落としてやった」と村人に言いました。

 この時流れ出た血が、川を三日三晩染めたので、今でもその川のことを「(血)染川」と呼んでいます。そして、ヤマトタケルノミコトが退治した九頭龍の霊魂は長年を通じて供養されて、「九頭竜権現」として祀られるに至り、今でも神野寺仁王門に鎮座されています。また、鹿野山測地観測所の下には「大蛇作」「蛇堀」などと呼ばれる場所があります。そこはかつて大蛇が棲息していた場所だと言われています。
~以上~


【退治?元々白山には九頭龍が神様として祀られていたんですけど】

ヤマトタケルはまぁ神武と言っても差し支えないという感じでしょうが、九頭龍を悪者にし、倒していますよね?でも本当に悪者だったのか?下記の文章を読むと分かる様になるので是非最後まで目を通してみてくださいね。

でね、悪者をすり替える彼らのあべこべの法則でいくと、真相は供養ではなくて封印なのでしょう

で・・・この九龍頭神社で有名な筈の福井の白山ですが。

逆にどうして菊理姫にしてしまうのか?誰も考えずにスピ本の受け売りでククリヒメ、ククリヒメと情報が広がっています。

でも封印て八咫烏の封印のやり方を見ていると分かりますけど元来の物を残して別の物に見せるというやりかたなので「九」という数字だけは残したのでしょう。だから九と言えば古代の日本人なら九頭龍様(アマテラス)を思い浮かべたと思うのですが、自分達が成敗してしまった為に隠さないといけない。

→九頭竜何ていなかったの、居たのはククリヒメよという風に持ってきているのが分かる良い資料だと思います。

ウィキペディアより明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道に基づく白山権現は廃社となった。三馬場のうち、白山寺白山本宮は廃寺となり、白山比咩神社に強制的に改組された。霊応山平泉寺も同様に廃寺となり平泉寺白山神社に強制的に改組された。白山中宮長滝寺は廃寺は免れたものの、長滝白山神社と天台宗の長瀧寺に強制的に分離された。

山頂や登山道の各地に置かれていた仏像は、このとき引き下ろされて廃棄される運命にあった。しかし、銅造十一面観音菩薩立像(国の重要文化財)など8体が白峰村(現白山市)の林西寺住職(当時)、可性法師の手によって収集され、現在も同寺境内の「白山本地堂」に安置されている。

~以上~

十一面観音菩薩立像、つまり白山に祀られたのは十一面観音で有ったという証拠の文章でも有ります。

でね、時代と共に何かが変わるのは仕方ない事ですが、しかし現在の日本の世の中ではどうみても九頭竜を殺した側の方が権力が持っているのでスピ本とかであたかも自分らの神様が元々居たかのように書く事が出来ます。

【スピ本ではセオリツどこ~とか(笑)神様探しを仕向けるようにしていますよね?】

だからスピ本育ちの人は本当の神様どこ~って神社にウロウロ洗脳が効いている証拠です。だってどう見ても本当の神様を君達に教えたくないから発行された本なのですから当たり前ですよね。



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