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520体の石仏

~スピチュアル本と陰暴論本は知られてはいけない事を隠す為のミスリード~

 皆様も忘れる事がないであろう2011年3月11日に私達は未曽有の大災害を経験した。その少し前からスピ本が市場を席巻していた。そして社会不安や不満に対して一時的なガス抜きになるであろう陰謀論本も巷を席巻し。現実逃避のスピ本と共にネットでも大量に情報が出回っていた。一見して話としては面白いのでつい読んでしまったり私も信じかかってしまった。しかし大量に読んでいくうちに【仕掛けられた大きな嘘。利権を守る為】ではないかと思い始めた。
 とある日の事、私は陰謀論で有名なRさんとSさんが電話で喧嘩している動画を見ていた。するとRさんがAという家系をSさんが指摘したときに異常に怒りだしたのだ。
R氏「その家系がお金儲けなんてしている訳が無い!関わっていないんだよ!だから何だ!」実は私はこれを見て確信しました。Aという家系はお金儲けを戦前にしていたし、その事はいくら資産を持っていたか等週刊誌も特集を組まれていた事で、それ以前に財産をGHQにより没収されている訳ですから多大なる財産を保有していた事は確かである。資金が有るから権力が有ったのだし。じゃあその資金はどこから?って話になるじゃない?
そこで記録が有るのが戦争特需という事です。●●造船とか色々有るんですが、某大手財閥との深い関係が資金面を見ると分かるかと思います。
震災後出てきた本で、この財閥の某銀行の上役さんが本を書いていました。内容はこのAという家系を称賛するものでしたね。
 スピ本とか陰謀論の内容ってどうでしょうか?
①歴史が嘘である
②本当の日本を取り戻そう
③Aという家系が神様です、或いは一旦悪者設定にするのですが、途中で嘘情報にミスリードして真実を煙に巻いたり権力者に逆らっても結局は無駄という話に持っていく。
④歴史を変えたのは藤原家と嘘をつく
※例えば言語学者から見たらペトログリフは縄文時代の文字ですが、ペトログリフは宇宙人の文字とか検証しようがない話に持っていく。
【これらの嘘を蒔いて得をする人が誰か皆様も一緒に考えてみる事をお勧めします】
少なくとも言えるのは『縄文時代を邪魔に思う勢力が歴史を改ざんしている』
という事に気が付くと思います。日本のピラミッドと言う本を書いた酒井氏が指摘している通り葦竹山のピラミッドには神武天皇何ぞいやしません。今の天皇家とは何も関係ない事です。
 さてそんな事はさておき、それでは眠らされている本当の権力者や神様が一生眠らされたままになりそうですので私は筆を動かしている次第です。

ネットにばらまかれた520体の石仏

 寺社仏閣の謎や裏話が好きな方や、スピ族の人達や陰謀論者の方々は、この内容を御存じの方々が多いのでは?と思うのですがまず本当に探せた人が居ますか?って話です。そして役場に確かめましたか?という事。そうなんですよ連中は平気で大法螺を吹くんですよね。その証拠に私が役場に電話したら、そんなものはこの村には有りませんし、その山どころか山の麓周辺近くには、神社すら有りませんときっぱり言われてしまいました。その山から一番近い神社は私は行ってきましたが、私が今回探し出した祀神でした。つまりそこにおいてもクニトコタチとは全く関係性が有りません。
 そして肝心の520体の石仏ですが、520体どころか数体の石仏が有るような場所なんてないと断言されました。役場も秘密にしたいから隠蔽しているとか輩達は言い訳しそうですが、残念ですが、絶対言い訳が出来ません。何故なら彼らは別の場所の写真をその場所だと言い、掲載してしまっているからです。その写真がどの場所か私はつきとめ同じ角度で写真を撮影したのがこの動画と言う訳なのです。
そして何より致命的なのは地元住人に取材して、そこで信仰されている神様は『クニトコタチ』なんかではないと驚きの顔で対応され、別の名前の神様の祠の場所を教えていただいたというわけです。その祠の神様は川上史には伝記が残っている縄文の姫宮様でした。
つまり縄文姫の名前。縄文の権力者の名前をつぶしたい連中の仕業なのでしょう。そうじゃないなら何故そんな失礼な事をするのでしょうか?この地元ではずっと昔から親しまれ愛されてきた祠だという事だそうです。だから山奥にも関わらず綺麗になっていましたし、石の鳥居には姫の祠である旨も明記されている訳です。

※私個人は神社寺に以上に詳しい人が作った捏造話だと思っています。根拠を以下に書きます。『知識が豊富じゃないと捏造出来ない』事が良くわかると思います。

【520体の仏の話はこれらの情報から組み立てられ捏造された物で有ると筆者は推測しています】
東京都教育委員会資料等参照引用
【大円寺石仏群~五百羅漢】 
 東京都の目黒区には東京都指定有形文化財とされています「大円寺石仏群」というものが有ります。明和九年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られてのがこの大円寺であった。
 この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(1657)の振袖火事※1、文化三年(1806)の車町の火事※2と並び江戸三大火事の一つに数えられている。『 新編武蔵風土記稿※3 』 には、大円寺内の五百羅漢は行人坂の上の火事で亡くなった人々を供養するために建立されたと記されている。
 大円寺境内の北東側斜面に、520 体の石仏群が安置されている。左右に文殊菩薩※4・普賢菩薩※5を配した釈迦三尊像を十大弟子と十六羅漢が囲み、背後に491基の羅漢像が並ぶ。建立年代は、五百羅漢の中に宝暦一三年(1763)の刻銘もあるが、多くは釈迦如来の刻銘天明元年(1781)以降の建立と思われる。嘉永元年(1848)に大円寺が再興された時、これらの石仏もここに安置されたと考えられる。
 像高は、釈迦三尊像が147~155㎝、十大弟子像が55~126㎝、十六羅漢が95㎝、五百羅漢像が37㎝前後。判読できる銘文によると、行人坂の火事以外の供養も含まれているようである。また、広く勧進を募り、時間をかけて今の石仏群が作られたことも読み取れる。江戸災害史の貴重な資料である。※1 明暦の大火(たいか)明暦3年1月18日、江戸の本郷丸山本妙寺から出火、2日間にわたって江戸城をはじめとする市中の大部分を焼いた大火。施餓鬼(せがき)に焼いた振袖が空に舞い上がってその原因になったといわれ、振袖火事と俗称された。焼失町数800町。死者10万人。本所回向院に死者をまつった。
※2 文化3年3月4日(1806年) 江戸芝車町から出火し、南西風により延焼。焼失した町数530・大名屋敷80、寺社80など。死者1200人
~引用以上~

では、そもそも五百羅漢とは何かと申しますと【五百羅漢とは?】
ウィキペディアより文・画像共に引用
五百羅漢(ごひゃくらかん)とは仏陀に付き従った500人の弟子。またはそれをかたどった像。阿羅漢#五百羅漢も参照。 五百羅漢像編集. 以下の寺社などに存在する。
報恩寺 (盛岡市)
羅漢寺 (大田市)
地蔵寺 (徳島県板野町)
五百羅漢寺 - 東京都目黒区にある寺院
五百羅漢寺 (和歌山県和歌山市)
宗圓寺 (北海道小樽市)
喜多院(川越市)
四日市(https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_4282.html)
桂岩寺(金沢市)
報恩寺様の五百羅漢

段々見えてきたと思いますが、五百羅漢は500体有れば良いし、そもそもお地蔵様みたいな風体ではないのです。釈迦の500人の弟子という意味ですから。けど目黒のは520体有る。そして火事の犠牲者。
という訳で520人の犠牲者という事から、その捏造の話が出たんじゃないかと私は見ていますね。それともう一つですが・・・・。
【広島八本松88石仏】
この土地にも88石仏が有るのですが、その石仏は過去の台風などにより4体の石仏が所在不明となっていたが、現在88体すべてがそろっています。~以上~

上記の文章からキーワード抜きます
●基本500羅漢は500体だけど大円寺境内には520体の石仏が有る
●上記は(火事による)犠牲者を弔う為のもの
●広島八本松88石仏は、4体行方不明だったが2体見つかり二体は作った。つまり4体の石仏が戻ってきた
~以上~

【以上の事を踏まえた後にネット上のおよその概要をご覧ください】
123=「ひふみ」は神事を現す特別な数字である。残酷なまでの情報隠滅作戦にも関わらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片付けられない不思議な符号が、本当の理由
を教えてくれました。行きついたのは高天原山にある神社の両脇に眠る「520体の石仏」でした。その神社の御神体は「国常立尊」(くにとこたち)です。
~以上~

500羅漢の伝説と88石仏に対して非常に詳しいものが創作した作り話であると仮定すると、すんなり腑に落ちるものが有りました。それがネットでいつの間にか拡散されたのではないでしょうか?捏造である絶対的理由は、当然ですが、三つ峠の石仏を写真として使用しているからです。

【国常立尊に対する一般的な記述】
古代日本の王だった国常立尊は、英明な人物でたが、厳格過ぎる性格が災いして家臣に恐れられ、ついに、暗殺されてしまいます。
そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川、そしてその三つの川の源泉こそが、高天原です。(たかまがはら)

【川上村史による内容】
「くまなく血で染まった」千曲川の戦いの時に逃げたのは縄文の姫。富士山から来た姫です。つまり血を流したのは縄文サイドだという事が分かります。

つまり表の歴史やネットで蒔かれた情報と反対の事が書かれているのです。

どのみち縄文時代には武器で殺された跡が一切ないので、その後の勢力が武器を使用しない者達にに対して血が流れるほどの事をしたことには変わりはないでしょう。
 というか国常立命がそこに居る根拠はどこにあるんですか?ネットでそれっぽい事が噂みたいに流れていたのでしょう。だから役場の人に電話しても「何それ?」状態なのでしょう。
この村に元来あった縄文の村を作ったのは村史によると姫宮様です

川上村に復元されている縄文村

強いて言うならば、国常関係の人が居たとしたらそれは後から建てた鳥居です。もともと竪穴住居の場所しかいままでなかったわけで、高い屋根の建物を建てたとこの鳥居に書いてある詔では言っているのです。
 この鳥居には神道では、大祓詞(おおはらいのことば)の一節が書いてああるのです。

下つ磐根(いわね)に宮柱太敷き立つ 高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知りて
その意味は柱を土の中の土台石の上に太々と大地にしっかりと根を下ろす様に立て、屋根の上には天にも届く様、千木を高々とそびえさせ、双方合わせて天地に達する様に上の方には天津神(あまつかみ)(一般的に、たかまのはらにいる神)、下の方には国津神(くにつかみ)(この国で生まれた神)に通ずる様 親神様の御心を一貫して受け止められる事になります。
※千木というのは屋根の上にあるバッテンのかたちに交差した部分をいいます。
 
この地域の村史が本当なら、追ってきた神武勢力から逃れ縄文の里を築いた姫宮は、その身分を追われると共に神武勢力が大きな宮の屋根を天まで轟かしたという事でしょう。
 千木はこの地域に未だに伝わっているなと感じたこちらの神社になります。

千木というのはこの様に屋根の上にあるバッテンのかたちに交差した部分

入り口にはとても風情がありゲームとか本の題材になりそうな位の神秘的な雰囲気が有りました

大貴巳が祀られていました。神功皇后、天照、卑弥呼等のオマージュとも言われている事は調べていく人はどなたでも気が付くことでしょう。

たしかに123という数字の飛行機が落ちたのは偶然ではなく必然だったのかも知れません。その事によって私のような人間が真実に気が付いたのですから。日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物。

【日航123便が落ちたのは御巣鷹山などではない!高天原山である!】

123神示
つまり、この話を123墜落事件に引っかけて高天原山での出来事を日本の皆様が認識しないようにしたと思われます。だから御巣鷹山だと言ったのだと思います。しかし村役場に電話をして聞くと高天原には神社どころか祠すらなく、強いていうなら123便の慰霊塔だけだそうです。

ましてや500以上もある石仏なんてという話でした。前述のようにあの写真は三つ峠の物ですしね(笑)そして何より村で信仰されていたのは何かという事ですよ。

皆様神話ちゃんと読んでいますか?読んでいるのになぜ気が付かないのですか?実はそれこそが『彼らがかけた(大切な物が目の前有るのに気が付かない)封印』です。八咫烏関連の本を読んだ人にはなおの事分かるでしょう。

カバラの法則【一番大切な物は目の前に有るのに(逆にこんなところにそんなのは有るまいという先入観)全く気が付かなくなる法則】

【日本原住民を蹂躙した神武東征】
ナガスクネの墓の話をしました。三つ切りにして重い石を置きしめ縄をかけて呪いその他存在感。起きた事実まで認識されないようにする。つまり馬鹿にする方も居そうですが、呪術というのは本当にあるという事。実際に今まで誰も私が指摘するまで気が付かなかったわけですから効果が絶大だったという事です。

縄文時代は一万肋千年前から始まり富士山で絶頂期(おそらくどう見ても富士王朝の事でしょう)を迎えて最後は川上村で途絶えている事は科学捜査からも明らかになっている事なのです。

そこから三千年の歴史は皇紀3000年と言っているくらいなのですから、川上村の村史が正しいのなら、ナガスクネや東北のアシテイル(神武東征と言う名のアイヌ人虐殺)を自ら記紀に書いている事ですし、川が血まみれになり無抵抗の縄文人たちを切りつけた可能性は高いでしょう。前歴がある訳ですから。

それではこの土地高天原山麓近くに祀られてあった、本当の神様をご覧ください


16菊花紋は元々ある王家の記って意味であり、特に天皇家を指示さない

卑弥呼は西側から来たと寺の古くからの伝記や魏志倭人伝には書いてある。つまり、顔の入れ墨から考えても、西側から来た海人族と言う可能性が高いのだ。この16花紋はシュメール文明でも発見されている。つまり縄文の姫がこれを使っていたからではないだろうか?

日ユ同祖論では16花紋が天皇家にあるのにシュメールにあるからといういかにも関係する話にしたいようだけど、元々イスラエルとかの中東には当時植物学から考察すると菊が無かったそうだ。彼らは古くからの王族ではないわけですし。
私が書くことにより、日本のピラミッドの夜明けが来ると良いなと切に願います。

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