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まさかの傑作「映画 すみっコぐらし」にみる誠実さ

ただ癒やされるだけとは思うな(※ネタバレなし)

「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」を観た。

かの「すみっコぐらし」の映画化。
どうみてもアクティブさから程遠いキャラクターを主役に据えるというのは無理ゲーに思える企画だと思う。
しかし、蓋を開けてみたら、子供だけではなく大人にもリーチする良作であった。

ただ癒やされるだけとは思うな。
少し短めで幼子にもわかる演出でありながら、無駄のない構成と予想を裏切るダイナミックでほんのりビターな物語がそこにある。

ちびっ子も親御さんもカップルも、一緒に笑い、そして泣く。
土曜の親子連れが多い中で観た結果、私はそんな貴重な体験をした。ぽろぽろ涙を流しながら。

もし都合がつくなら、劇場で観ていただきたい。
親子で行くのも良いし、大人の方で子供がいる時間が嫌な場合は夜の部を狙っても良い。

キャラクターの説明はオープニングで行われるので、事前の予習は不要だ。「天気の子」のような単発のアニメ作品と同じ感覚で観に行って欲しい。

以下、ネタバレあり。

誠実さに溢れた作品

この作品に通底するのは、「誠実さ」という一語ではなかろうか。

原作はファンシーグッズ。映像作品もあるがすみっコ達に声優がついたことはない。
だから原作者からは声優をつけないことが求められた。これを約70分の作品で完遂しただけでも見事なものだ。

主要キャラの絵柄も原作準拠だ。この絵柄に変更を加えずにグリグリ動かしてるのだから凄い。台詞の入れ方も、グッズのように頭の輪郭に沿わせて、あの文字で描いている。だからイメージが壊されない。

一方、絵本の中の世界は(恐らく)挿絵の絵柄に沿っているのと、キャラクター達もすみっコの絵柄よりリアル路線にしてある。ひよこ?をすみっコ側に寄せているのも良いギミックだ。

そして登場人物たるすみっコも、本当に良いコ達だ。
出会ったばかりのひよこ?の身の上に一番に反応したぺんぎん?は勿論、他の誰もがひよこ?をかわいがっているのだ。

ひよこ?が絵本の外に出られないという残酷な事実に対し、ご都合主義は発動しない。それを受け入れたすみっコ達は、現実世界で白紙のページにひよこ?のお家と自分達の分身ひよこを加える。自分達を描くのではなくひよこ化した自分達を描くのがまた良いよね。

こういった誠実さが、隅々に行き渡っている。

「冬のこもりうた」がこの作品に馴染む理由

歌の話もしよう。

原田知世の歌うエンディングテーマ「冬のこもりうた」は、映画のエンディング曲とは思えないシンプルな曲だ。(原田氏はボーカリストとしても精力的に活動されている方だ。)

映画未見の時点では「ほのぼの作品のエンディングテーマとしては合うだろうけど…」という感想を抱いていた。

しかし、いざ映画のエンディングでこの曲を聞くと、「すみませんでした、これが正しいです(土下座)」と思わされたのである。

この作品にはナレーターが2人いる。
片や映画のストーリーそのものを説明するナレーター、片や童話のストーリーをなぞるナレーター。
彼らの役割は絵本の読み聞かせだ。後者がしていることは絵本「せかいのおはなし」の読み聞かせであることはすぐわかる。では前者は、といえば「すみっコぐらし」の読み聞かせをしているのだ。時にツッコミを入れてしまうのも、彼が読み聞かせという話し手と受け手(読者)の間にいて、若干観客に近い立ち位置にいるからだ。

一般に、絵本の読み聞かせが行われるタイミングの1つに、「子供が寝る前」がある。

読み聞かせが終わって、まだ子供が寝付いていなければ、保護者は何をするだろう。
…そう、子守り歌だ。

物語開始時点でのひよこ?にとって、月明かりは絶望の印だった。
この曲で歌われる月明かりは、明日への希望の光になっているのだ。
クレジットの横で、ひよこ?はすみっコのひよこや童話のキャラクター達と戯れている。この子はもう孤独じゃない。明日も明後日も、楽しい日々は続く。

「すみっコぐらし」という物語の読み聞かせは終わった。だから観客に「おやすみ、また明日」と歌いかけるのだ。

「冬のこもりうた」を買ってヘビロテしているうちに歌詞の意味に気付いて、また涙が流れた。

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