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父が作った鍋焼きうどん

今日は生きていれば84歳の父の誕生日

51歳で他界してしまったので誕生日を祝うこともできないのですが、1月31日になると父が作ってくれた鍋焼くうどんの味を思い出します。(写真はフリー素材)

ちなみに、母(健在)は父と同い年で1月3日、僕は3月31日と、「1」と「3」が家族のラッキーナンバーと勝手に決めている。昭和のスター、王・長嶋の背番号。

父は僕が小学生の頃までスナックを経営しており朝方まで仕事。

当時、スナックの2階を住居としていたので、僕が朝起きて閉店後の店に顔をだすと、「鍋焼きうどんでも食べてから学校に行くか?」とたまにお店のメニューをご馳走してくた。

今でもその美味しい鍋焼きうどんの味が忘れられなく、自分で作ってもなかなかその味には辿りつけない。

正直、父との思い出は少ない

事情があって小学生の低学年で3人家族がそれぞれ離散してしまい、そのあともたまに数回会うほどだったのでったので、父との思い出は正直少ない。少ないからよく覚えている。

小金井公園でのキャッチボール
後楽園ゆうえんちと日米野球観戦
お店を開ける前に一緒に通った銭湯(星の湯)
僕の結婚式での借りてきた猫状態の父
叱られた記憶はない

そんな父でも尊敬する部分はあった

父のお葬式の時、父の友人達が「ツネさん(父の名前)は、人の悪口だけは一切言わなかったね」「あぁ、言っている奴がいると『そういうこと言うなよ」って怒ってたね」という会話をしていた。

酒飲みで瘋癲で親戚からの評価は低かったけど、父のそういうところは尊敬している。あと、身の回りは清潔にしていたな。

スナックをやる前、バーでバーテンダーをやっていた頃の父がものすごくかっこよかったのをうっすら覚えている。

もう会えないんだよなぁ。

父の誕生日に故人を回想しました。




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